岐阜あるあるカルタ「YAONE」にちなんだ岐阜愛エッセイの連載企画。「あ行」更新からかかなりの月日が流れてしまいましたが、ついに「か行」を更新!学校生活から岐阜ならではの独特の風習、さらには新名所まで…個性豊かな”岐阜あるある”が揃いました。
か カボヘル モリ漕ぎ ケッタマシーン
岐阜市内の小学生が自転車に乗るときの必須アイテムといえば、「黄色いキャップ型のヘルメット」。今はもう大人の岐阜人にとっては、「あ~そういえばかぶっとったね」、くらいの空気みたいな存在、体育の授業の赤白ぼうし同様、ごく当たり前のアイテムではないでしょうか。
ころんとしたフォルムに均等に溝の入った黄色いヘルメット、そのビジュアルから「かぼちゃヘルメット」、略して「カボヘル」の名で親しまれてきたこの自転車の相棒。私の住んでいる地域では「シェルメット」とも呼ばれていました。学校の先生や子ども会のお母さんたちから「シェルメットはちゃんとかぶりなさい!」と注意される度に(※女子の間では、ヘルメットを首の後ろに垂らす着こなし(?)が流行っていました。そりゃ怒られます)、「大人ってヘルメットの『ヘ』がちゃんと発音できないんだなぁ」なんて考えていたのですが…。でもあれはあえての「シェ」発音だったことを、私は大人になってから知りました。そう、このかぼちゃヘルメット、溝の形が貝(=shell【シェル】)に似ていることから、「シェルメット」という二つ名を保持していたんです。
いや何が驚きって〇年前の誰かの、お洒落なネーミングセンスですよ!「カボヘル」、「シェルメット」、どちらも言い得て妙ですよね。
と言いつつも、時々県外から転校生がやってくると、大体みんな白くてつるんとした形状のヘルメットをかぶっていて、密かに羨ましく思っていたもの。なぜなら、白いヘルメットは中学生のお兄さん、お姉さんがかぶるアイテムだったから。まさか憧れの中学生ヘルメットを、岐阜っ子以外はもう小学生からデビューしていたなんて知らなったんです。
話は変わりますが、岐阜の小学生ってめちゃくちゃ自転車に乗ると思いません?(今の子はどうなのかな…)。私も放課後といえば、学校から帰ると自転車のかごに入れてあるカボヘルを無造作にかぶって毎日モリ漕ぎ、遊びに行っていた記憶しかありません。学校のルールで、子どもだけで校区外に出てはいけないと定められていたのですが、岐阜ってそもそも校区自体が広いことが多いので、遠くの友達と待ち合わせて遊ぶには、自転車は必須アイテム。だからなのか、みんな愛車にはすごくこだわっていたなあ。自転車を「ケッタマシーン」なんて呼んじゃうのも、きっとそんな愛着ゆえですよね。カッコいいマウンテンバイク風のを誕生日プレゼントに買ってもらっていた子もいた気がします。
私もさんざん乗りつぶした初代自転車から買い替えてもらうとき、ギアチェンジできる、ハンドルが直線タイプのケッタをゲットしました(だいぶ駄々をこねた)。でも不覚だったのは、前かごがなくてカボヘルを収納できなかったこと…。どんなにイキがっても、キュートなカボヘルに守られてこその、岐阜の小学生だというのに。結局アゴ紐部分をハンドルにかけて管理するハメになり、よく落下させていました…。その反動か、今はすっかりママチャリラバー。前かご最高です(笑)。
現在生産自体は終了していると聞きますが、なぜかいまだによく見かけるカボヘルキッズ。兄弟や親のおさがりをかぶっている子も多いそうですよ。
き 金ピカの 信長と駅で ご対面
誰かと岐阜駅で待ち合わせするとき、ひと昔前は待ち合わせ場所を決めるのにちょっと困った記憶、ありませんか?なんせ岐阜の玄関口だけあって、岐阜駅はけっこう広い!さらには地上駅から高架駅になり、お洒落なペデストリアンデッキができて、新しいお店やビルもどんどん増えて…再開発による進化も相まって、駅で会う約束をする度にザワザワ緊張していた気がします。目まぐるしく変わりゆく岐阜駅には「渋谷駅のハチ公前」みたいな、待ち合わせの絶対的シンボルがなかったんですよね。
そんな様相が変わったのが、2009年のこと。突如岐阜駅北側に「黄金の信長像」が現れたのです。
この像は岐阜市制120周年を記念して設置されたもので、像の高さは台座を含めて11m。マントを羽織り、右手には西洋兜・左手には火縄銃「種子島」を携えたその姿は、まさに駅のシンボルであり、この戦国城下町の象徴ともいうべき存在です。
でも私、ぶっちゃけるとこのド派手を超えた金ピカの信長公、「全身金々なんて秀吉みたいやんか…」と、最初はけっこう戸惑っていました。別に秀吉公をディスっているわけではなく、単に私が勝手にイメージしていた信長公が赤や黒の似合う、第六天魔王感のあるダークなカッコよさだったからなのですが…。
あと普段岐阜市内で暮らしていると駅前を車やバスで素通りすることが多くて、基本目にするのは信長公のマント越しの背中。だから駅前を通りがかる度に、いつもそっぽを向かれているような気がしていたんですよね(涙)。
ただ今は、全く真逆。岐阜が「信長公おもてなしの戦国城下町」であることを考えれば、いかにあの黄金の信長像が、岐阜の人々にとって愛すべき、かつ誇らしい「O・MO・TE・NA・SHI-おもてなし―」の姿であるかがよ~く分かります。
まず信長公が街に背を向けている理由。それは岐阜に着いて駅舎から出てきた人をお出迎えする、バリバリのおもてなし体勢そのものだから。着いた瞬間から岐阜人を代表して、光り輝く御自らで真っ先に出迎えるとは、なかなか粋なサプライズですよね。
そして“金”。信長の居城・岐阜城はツブラジイで黄金の輝く“金”華山。そして麓の居館跡から出てきたのは、日本最古ともいわれる”金“箔瓦――。ここまでくれば、信長公ほど金にふさわしい男はいない…むしろ金色こそが、信長公にふさわしい色といっても過言ではないのではないでしょうか。
今となってはハチ公に負けず劣らずシンボル化しつつある岐阜駅の信長公。待ち合わせらしき方の姿を見ると、「お~すっかり岐阜駅の顔になっとるね」と、ちょっと嬉しくなります。私も何年か前、東京からやってきた方と駅で待ち合わせする際、「ベタに信長像前で落ち合いませんか?」と提案されたときは、心の中でガッツポーズをしたなあ(笑)。
西洋好みで洒落者なかの人は、特別な日には勝負服さながら赤マントを羽織って、さらにおめかしすることも。
ド派手でおもてなしが大好きな、岐阜だからこそ出会える黄金の信長様。電車で岐阜にお越しの際は、まずはこのお方の歓待を受けるのが鉄則です。
く くっきりと 御嶽見えりゃ 快晴だ!
「今日は雲一つないイイ天気だなぁ♪ってことは…?」
という感じで、ついつい山好き岐阜人が確認しちゃうもの…それが「御嶽山―O・N・TA・KE・SAN」!標高3,067m、長野県と岐阜県にまたがる独立峰は、唯一無二の存在感。山々に囲まれた岐阜は、伊吹山に恵那山、北アルプスに中央アルプス、場所によっては白山連峰も拝めちゃう、とっても贅沢な絶景大国なのですが、その中でも御嶽山は別格です。とにもかくにもまず、ビジュアルがバツグンにカッコイイ!!――と、いきなりルッキズム全開で恐縮ですが、一目で御嶽と分かるあの美しくも雄々しい稜線は、ゾクゾクムンムンの山っぷり♡それでいてどこか高貴な佇まいは、やはり他の追随を許しません。
ちなみに御嶽山は何度か登ったこともあるのですが(毎回死に物狂い…)、実際あの場に身を置くと、さすがは山岳信仰の聖地。凛と澄んだ空気が心の奥まで行きわたるような、心地よい高揚感に満たされます。余談ですが、岐阜市在住の私の祖母も若い頃はお寺の檀家さん仲間で年に1回、濁河温泉に泊まってそこから巡礼登山をしていたそうで、実際の距離以上に岐阜人にとって身近な山なんだなあとしみじみ思ったり。
とはいえ御嶽山、岐阜市周辺エリアからだとその姿を拝むのが意外と難しい…!単純に雲がなければよいというわけでもなく、いかに空気が澄みわたっているか、つまりどれだけ精度の高い晴天であるかがけっこう重要なんです。そんな気まぐれな感じすらも心憎いですよね♡
ただ視点を変えればこの御嶽山の見え方、岐阜の晴天指数を測る上でもうってつけの試金石。例えば一見イイお天気でも、春霞で輪郭がぼんやり見える程度だと、「今日はちょっと空気がよどんでるなぁ…うんイマイチ」という感じで、つい無意識かつシビアに晴天レベルを評価しちゃっている気がします。
その分、空が澄み切った日の御嶽山の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいほど。稜線までもがくっきり鋭利で、「あれ、御嶽ってこんなに近かったっけ?」と思うくらい、こちらに迫り来るように見えるんです。こんな姿に出会えると、もうそれだけでその日1日幸せな気持ちに。もはやこれは完全に惚れた弱み…ですよね♡
それともう一つ、御嶽山にはとっておきの魅力がありまして♪それは西方から眺めると、我らが金華山の素晴らしい借景になること。遠くと近くの好きな山の稜線が勇壮に重なり合う様はもう…あまりの神々しさに胸アツこの上なしなんですよ!ぜひとも注目していただきたいです。
それにしても御嶽山よ、引き立て役をもさらりとこなしちゃうとはなんとイナセなことか…。やっぱり惚れない理由がありません!
け 掲示板 ガバリとB紙は 必需品
地味な小学校生活を送ってきた身ではありますが、そんな私でも「ガバリ」と「B紙」は小学校低学年の頃にはすでに習得済かつ何度もふれ合ってきた基本用語。――だからこそ県外の人が、この小学校ライフに欠かせない「ガバリ」と「B紙」を知らずに大人になったというのは、にわかには信じがたい事実でした…。
さて今回は、そんな「ガバリとB紙」がこの地方特有の方言だというお話。ところで岐阜の皆さんは、それぞれ正式名称が「ガバリ(画針)=ガビョウ(画鋲)」、「B紙=模造紙」ということはご存じですか?
――ではまず、「ガバリ」問題からいってみましょう。
私個人の経験でいうと、「ガバリとガビョウ」は「おにぎりとおむすび」みたいなノリで、特に意識せず同義語と認識していたような記憶。強いて言うなら「ガバリ」がやや主流だったように思います。やっぱりどうしても「ガ」の後には「バリ」の方がしっくりくるんですよねぇ。何よりバリが「針」と「貼り」の掛詞になっている点にも、そこはかとなくセンスを感じます(偶然なのかな…?)。余談ですが鋲(ビョウ)というと、まきびしとか苦無と同類項というか、どうしても忍者の道具の方を思い描いちゃっていたのでしょうね。完全に主観なんですけど(笑)。
とはいえ岐阜人でも現代っ子となると「ガビョウ」が主流になってきているようで、少し前に小学校のクラスにお邪魔した際には、「ガバリなんて聞いたことない」という意見も多々聞かれました。これは思いがけないゆゆしき事態!!そう聞いたからには「ガバリ」の死語化を防ぐべく、YAONEでガゼン布教活動を頑張りたいところです。
さあ、そして「B紙」です。
恥ずかしながら私が「B紙=模造紙」と知ったのは、大人になってからのこと。それまで「模造紙」なんて言葉は脳内辞書に欠片も存在していませんでした。さらに言うなら小学生の私にとって「B紙」=「ビーシ」。「シ」が「紙」という認識すらなかったので、完全にビーカーの兄弟分的ノリで、大きい紙のことを意味も分からず「ビーシ」と横文字風味で呼んでいたように思います(恥)。――今フンと鼻で笑った読者の皆さんに中にも、絶対同志はいるはずデスヨ(笑)…!!
とはいえ字面を知ったところで「B紙」が依然謎の名称であることには変わりないわけで…。でも実はそこには驚くべき理由が存在していたのです。
カルタの「あるあるメモ」の方にも書いているのですが、この「B」とは、A3、A4、B4、B5等といった、いわゆる紙のサイズの規格に由来するもの。つまりB紙とは「ほぼB1サイズの紙」――略してB紙というのがその真相なのです。ナルホド、ですよね。気になるAとBの使い分けなのですが、Aは洋紙、Bは和紙の寸法を表す日本独自の規格。しかもそのルーツは、江戸時代に徳川御三家の御用紙であった美濃和紙にあると聞けば、さらにビックリ!B紙は美濃和紙を有する岐阜ならでは、のいわば“ギョーカイ用語”みたいなものなのですね。何より「アルファベット+音読み漢字」を組み合わせちゃう発想の柔軟さは特筆すべき点。前衛的かつウィットに富んだ、ハイブリッド型日本語といえるのではないでしょうか。
ちなみに件(くだん)の小学生の皆さんに調査したところ、「B紙」の方はまだまだ学校内でも主流である模様。このアバンギャルドな名称も、後世に伝えたい素晴らしき岐阜弁です。
こ 紅白の 提灯いろどる 盆の墓地
お盆といえば、冬(春)のお正月と並び立つ夏の一大メイン行事。長期休みで実家に帰省する人も多いですし、子どもにとっては夏休み後半戦のクライマックス的イベント!親戚で集まってBBQして(※「い」の札参照)花火して――夏の開放感も相まって、パリピな夏を過ごす方も多いのではないでしょうか。私はというと、お盆は夏休み終焉のカウントダウン行事と位置づけていたので、残り日数を指折り数え、憂鬱ないまぜな日々を過ごしていた記憶です(基本的に後ろ向きな子どもでした)。
とはいえ盆踊りとか肝試しとかお楽しみが満載のお盆は、お正月よりもレジャー気分はマシマシ☆ご先祖様を心静かにお迎えするという神妙な気持ちはむしろ希薄で、親戚一同お墓参りに行ってご先祖様のお墓を清めるのもお花を供えるのも、ちょっとしたイベント感覚で楽しんでいたように思います。
お墓参りがレジャーの一環だなんていささか不謹慎かもしれませんが、振り返ってみればそう思っちゃう理由は提灯にあったのではないか…というのが、この項で主張したいこと。だってお盆の墓地って、あっちのお墓もこっちのお墓も紅白の提灯で彩られていて、めでたきことこの上なし!という風情なんです。
お墓と知らずに通りすがったら「お、今日はお祭りなんやね?」と、勘違いする人もいそうなくらいのカーニバル感なんですよね。
でもこのお盆の墓地風景、実は岐阜独特のもの。初めて目にする他県の皆さんは、あまりのド派手さにギョッとするらしいです(ちなみに他地域では白提灯を飾るのが主流だそうです。知らなかった!)。言われてみればお墓×紅白デコレーションって、なかなかトリッキーな組み合わせですよね、冷静に考えたら。
やや強引かもしれませんが、この岐阜ならではの墓場デコレーション、私が勝手にシンパシーを感じているのがラテンアメリカの「死者の日」。ラテンアメリカでは11月1、2日が故人を偲ぶ、いわば日本でいうお盆にあたるのですが、面白いのがこの日はお墓にお花や食べ物・飲み物を持ち込んで死者と一緒に楽しい時間を過ごすこと。さらにメキシコでは、お墓にも祭壇にもマリーゴールドの花が飾られて、街じゅうがそれは美しく艶やかな雰囲気になるそうなんです(いつか生で見てみたいなぁ)。
いかにも陽気で明るいラテンスピリッツを感じる風習ですが、でもこれ、根底にある想いは岐阜の紅白提灯も同じだと思いませんか?せっかく年1度だけの死者と会える日だからこそ、再会を楽しくとことん華やかに祝おうじゃないか!――どちらにも、そんな素敵な考え方が感じられますよね。まあさすがに岐阜人は、お墓の前で宴会はしませんけど(あ、でも沖縄県民はお墓でピクニック&宴会するそうですよ。長くなるのでさらっと余談ですw)。
奥ゆかしい岐阜人(※自称)と底抜けに明るいラテンの皆さんに共通項を見出すとは、自分で書いておいてちょっと戸惑っていますが、紅白提灯は意外と(?)根アカな県民性の象徴みたいでちょっと嬉しい発見。明るく我が道をゆく岐阜人らしさに、ほんの少しでも誇りを持って突き進んでいけたらいいなと個人的には思っています。
☆岐阜あるあるカルタ「YAONE」のご購入はコチラ