YAONE岐阜あるあるエッセイ「た」~「と」

岐阜あるあるカルタ「YAONE」にちなんだ岐阜愛エッセイの連載企画も、年の瀬に「た行」更新。今回も岐阜の風土に育まれた、雑多でユニークな「岐阜あるある」揃いです。

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 「ただいま」と つい声かける 金華山

例えばドライブに出かけた帰り道の堤防から、西日に染まる金華山のシルエットが姿を現したとき。あるいは実家への帰省時、東海道本線の列車の中から光を放つ山上の岐阜城天守が見えたとき。「ああ、岐阜に帰ってきたなぁ」と、しみじみ感じることはありませんか?そんな気持ちに少しでも駆られたとしたら、それはもう暮らした年数や出身地に関係なく、まごうことなき岐阜人の証といえるかもしれません。

東西南北、望む方角によって表情が全く違う金華山。東から見ると、濃尾平野の山々と重なり合う、ちょっと控えめで奥ゆかしい佇まい。

東方面(前渡不動山)から見た金華山。画像中央の山に天守の姿が。

ところが西から見ると、遠くからでも道いっぱいをふさぐような存在感で、近づくにつれてその“壁感”に圧倒されます。

西方面から見た金華山。長良川越しでもこの迫力です。

南からの景色もなかなか壮大。長く連なる稜線が雄大でカッコよく、個人的には国道21号の高架やオアシスパークの観覧車から眺める姿がお気に入り。こちら側はチャートの岩盤があちこちむき出しになっていて、ワイルドな感じもたまりません♡

南方面(オアシスパークの観覧車)から見た金華山。延々と稜線が続く様子を見ることができます。
南方面近影(鷹巣山)からの金華山。北方の山々と相まって、雄々しさも満点です。

北から見る金華山もなかなかドラマチック。北方からは山々に遮られ、その姿をなかなか拝めないことも多いのですが、その分不意に眼前に現れたときの姿は、圧倒的な迫力と包容力。特に夕方、伊吹山方面から夕陽に照らされる金華山は本当に美しくて、久々に帰る故郷や実家みたいな温かみと安堵感に包まれます(たとえ岐阜に住んでいたとしても)。これが斎藤道三公、織田信長公が金華山を居城にせずにはいられなかった所以かもしれませんよね。

北方の堤防沿いから近づく金華山。西日が当たる5月のツブラジイの輝きも幻想的です。

そんな心のよりどころであるからか、別の山に登るとつい金華山を目で追ってしまうのは、市役所や県庁の展望室から自分の家を探しちゃうのと同じくらい自然な行為。無意識のうちに山の上の突起(=岐阜城の復元天守)を探して凝視しがちです。きっと信長さんだって遠征から帰る度、遠くから岐阜城を確認しては「そろそろ我が家見えてきたな。岐阜はもうすぐじゃ」なんて、帰還の喜びを噛みしめていたのではないでしょうか。

実はつい先日も新たな岐阜城把握スポットを確認しました。それは取材で登った美濃市の鉈尾山城(古城山)の山頂。ここから岐阜城が見えるなんて思っていなかったのですが、南の山並みの向こうに、おわん型の山頂がちらり。目を凝らすとその上には小さなポッチが見えて、「あれ岐阜城やん!」と興奮のあまり思わず声に出してしまいました。後から知ったのですが、かつて岐阜城攻めを目論んだあの武田信玄は、その拠点にすべくこの山を調略したそうですよ。なんかさらっとすごいエピソードですよね。

鉈尾山城(古城山)からの眺め。金華山がどれか、分かりますか? ※ヒントは真ん中より左側

岐阜人の心の故郷・金華山――東西南北どこから見ても常にそこにいてくれる、母なる存在感、唯一無二だなあと毎日しみじみ思います。

茶碗蒸し 岐阜モーニングの 定番やお

喫茶店のモーニングで何を重要視するか――こと岐阜人においては「卵の在り方」に重きを置くという方、かなり多いのではないでしょうか。定番ならゆで卵、意外と珍しいのは目玉焼き。それから卵サンドに卵トースト、ホットサンドにエッグベネディクト…と、モーニングの卵のバリエーションは多岐に及んでおり、そのラインナップも訪れるお店を選ぶ決め手になったりします。でも生粋かつ長年のモーニング常連さんが愛してやまない不動の人気の卵料理といえば、やっぱり「茶碗蒸し」。トースト、コーヒー、茶碗蒸し。これはもう、モーニングの3種の神器(神食?)といっても過言ではない黄金トリオなのです。

卵愛がとまらない♡

「茶碗蒸しってトーストとコーヒーに合うの?」、「和食にパンってなんか食べ合わせ微妙じゃない?」。岐阜人はそんな野暮なこと、つゆほども思いません。というか疑問にすら感じていません。なんといってもここ・岐阜は食文化のるつぼ。あらゆる食文化のハイブリッドを厭わない土壌には“おいしければ全て受け入れる”という大らかなスタンスが古来はびこっているのです。いうなれば、クリームシチューで白ごはんを食べるのと同じ感覚ですよね(これはこれで議論の余地があるかもしれませんが)。

で、肝心の茶碗蒸しがトーストとコーヒーに合うか問題ですが、結論として食べ合わせに何の問題もありません。大事なのは「和食」と「洋食」の概念にとらわれないこと。考えてみれば、茶碗蒸しって朝ごはんとして、この上ない逸品。朝から卵を蒸すというだけでもすごいのに、スプーン(※これがコーヒースプーンと兼用だったりするw)で口に運べば、アツアツぷるん、のちふわとろ食感♡こんな極上体験がコーヒー代で楽しめるなんて、尊いにもほどがあるというものです!

モーニングの茶碗蒸しは、基本シンプルで可愛い花麩とかが浮いていたりするんですが、個人的には案外この具が少な目タイプの茶碗蒸しがわりと好き。甘くない蒸したてプリンを食べているみたいで、卵好きにはたまらない贅沢なんですよねぇ。とはいえ、中に銀杏とかたまにかしわ(=鶏肉)が入っていると、それはそれで狂喜乱舞!朝から最高潮に幸せな気持ちになります。

ぷるぷるの卵部分が多いタイプが、またよかったりします。

ラグジュアリーな気分を演出してくれるモーニングの茶碗蒸し、アツアツを先に食べるかパンのおともとして三角食べをするか、あるいはデザート感覚で最後に食すか…楽しみ方も人それぞれ。トースト、コーヒーとの和洋折衷マリアージュ、朝から存分に楽しみたいものです。

机は「つる」 お米は「かす」で 鍵は「かう」

「机つっといてー」、「お米かしといてー」、「鍵かっといてー」。きっと岐阜人ならば、何の疑問も持たずにこれらのミッションを遂行できることでしょう。というかあまりにもナチュラルに使い過ぎて、「つる」、「かす」、「かう」が全国共通語と信じて疑わない方も多いかもしれません。

念のため全国大多数の皆さんに、この3つの答えを提示しますと…

机をつる=机を運ぶ
お米をかす=お米をとぐ
鍵をかう=鍵をしめる

というのが基本の解答。机は吊り下げないし、お米は貸さないし、鍵は買いません。

特に「机をつる」は、小学校のお掃除や学活(←これも岐阜独特の言い方?)時間に頻発する言葉。机を“吊る”行為に間違いはないのですが、「つる」の2文字には「持ち上げて運ぶ」という2動作が含まれています。確かに先生に「はい、机つって~」と言われたら、岐阜キッズたちはごく当たり前に両手でしっかり持ち上げて、脚で床を傷つけないよう真面目に運びますよね。

「お米をかす」も、同様に細かなニュアンスが含まれる動詞。「かす」の2字にお米を「研いで水に浸す」という一連の動作が内包されています。語源を調べてみたところ、なんと「淅す(かす)」という平安時代の古語に由来するのだとか。これは「水につけてふやかす/米を洗う、研ぐ」と、まさに岐阜人が使う「かす」と同義の言葉で、平安時代の日本最古とされる漢和辞典「新撰字鏡」には「米を洗う」という意味で「米加須(こめかす)」という言葉が記されているそうです。令和の岐阜で日常遣いしている言葉が、1000年の時を超えて受け継がれた大和言葉だったなんて…まさかですよね。

さて、そして「鍵をかう」。再び調べてみると、こちらもなんと古語由来の動詞でした。「支える」「固定する」という意味の「支う(かう)」がその語源。なるほど、確かに岐阜では服等のボタンをかけて留めることも、「かう」と言いますもんね(これも方言らしいです。知らなかった…)。とはいえ鍵も棒やかんぬきで固定する昔の錠前を思えば、「確かに~」と、そのシチュエーションにも納得です。勉強になる!

昔の閂(かんぬき)

全国的には使われなくなった古式ゆかしい言葉が岐阜の地で今に息づいているなんて、非常に感慨深いもの。岐阜弁って由緒正しい言葉だったんだなと、誇らしくなります。今後も積極的に、自信を持って訛っていうこう!そんな気持ちにさせられますね。

堤防は 絶景パノラマ メインロード

岐阜の人って堤防道路がとっても好きだと思いませんか?どこに行くにも隙あらば細いスロープから堤防に上がっちゃうのが岐阜人ドライバーの性(さが)。堤防道路って信号も少ないし川に沿った1本道がシンプルで分かりやすいし、何より快適。だから国道や県道でなくたって、主要道路ばりのメインロードとして、ついつい活用しがちです(これはYAONEの地図面にもしっかり反映されています)。

岐阜市・長良川中流域を拠点にシミュレートしても、南に下れば岐阜羽島駅や木曽三川公園、もっといえばお隣三重県の長島スパーランドだってあっという間だし、北へ上れば関市も美濃市も本当にご近所さん(ただし日曜祝日は一部規制があるので注意が必要)。夜や雨の日の運転はちょっと緊張するのですが、この壮大な土手道はドライブ大国・岐阜の民のフットワークを、とっても軽くしてくれていることは間違いありません。

そしてやっぱり推したいポイントは、土手の上は景色がべらぼうにイイこと。堤防はいわば川沿いに築かれた人工の高台。広大な濃尾平野に延々と続くその様子は、佇まいもダイナミックです。

穂積大橋付近からの景色。左手には雪をかぶった伊吹山が見えます。
河渡橋付近からの景色。右手奥の一番高い山が金華山です。
河川敷も広大な絶景スポット。絶景と共に楽しむ凧あげも最高!

養老山地、伊吹山に能郷白山、金華山に百々ヶ峰、恵那山に御嶽山…。360度のパノラマで層を成す遠近の稜線は雄大なグラデーション。これを車の疾走感と共に楽しむのは最高に爽快です!

ちなみに上記写真は、岐阜県博物館の治水展示のコーナーのジオラマなのですが、土手がまるで万里の長城のよう。岐阜の堤防は長年にわたる治水の歴史の証でもあることが見てとれます。海抜が低く、木曽川・長良川・揖斐川の「木曽三川」が合流する濃尾平野は、洪水が日常茶飯事。岐阜の学校では課外学習も含めて宝暦治水のすさまじさと薩摩奉行・平田靱負氏の悲しい最期、それにオランダ人技師・ヨハネス・デ・レーケ氏の偉業を詳しく習うので、彼らを尊ぶ気持ちが自然と胸の内にあるのではないでしょうか。今、こうして気分上々で堤防道路を走れているのも彼らが築いた礎(いしずえ)のおかげと思えば、日々の安全運転は最低限の礼儀。走りの気持ち良さからついかっ飛ばし過ぎるのは、もちろんご法度です。

さて、最後にもう一つ、この“絶景パノラマ”が生きるシチュエーションをご紹介。それは主に夏、各地の花火大会のです。この時期になると、どこに住んでいても最寄りの堤防まで上れば、様々な会場の花火大会が遠景で堪能できるのは、知る人ぞ知る乙な楽しみ方。長良川に揖斐川、大垣、境川に墨俣etc…。運と場所に恵まれれば3会場の花火大会を同時に見る…なんて贅沢も叶うんです。例え賑わう会場まで行けなくても、夏の夕暮れに名もなき堤防でご近所さんと共にゆったり花見を眺めるのもまた一興。これもまた治水の歴史が育んだ、岐阜の風物詩かもしれません。

年越しも いつものお昼も 冷やしたぬき

冷たいおそばの上に、天かす、ネギ、たっぷりわさびに甘辛おあげ。これらを豪快に混ぜていただく「冷やしたぬき」は、押しも押されもせぬ岐阜市のソウルフード。メディアで大大的に取り上げられたり、コンビニで商品化されたりと、その人気と知名度は今や全国区となっています。

そんな冷やしたぬきの元祖といってまず思い浮かべるのが、1928年創業の「更科」さん。先代のご主人が考案したというその歴史的逸品は、「関西のたぬきそば=油揚げがのったそば」と「関東のたぬきそば=天かすがのったそば」の東西ハイブリッド型。食文化のるつぼを丼内で体現した1杯は、シンプルながら岐阜の食文化がギュッと凝縮しています(詳しくはコチラを参照)。

更科さんの冷やしたぬき。これぞ元祖!

冷やしたぬきはその味を1度知ってしまうと、定期的に食さずにはいられない中毒性の高いシロモノ。あっさりしたおそばでありながら、はっきり濃い味とボリューム感を兼ね備えており、ヘルシーとジャンキーが同居した唯一無二の食べ物です。豪快にずずっとすすれば、やや甘辛いおつゆに天かすのサクサク感、じゅわっと味の染みたおあげの甘さと薬味のアクセントが四位一体に。食べた瞬間、脳髄から「うまい!うまい!!うまい!!!」と信号が間髪入れずに送られてきて、一心不乱に食べ進めずにはいられません。実際お店に行くと、黙々と冷やしたぬきに向き合うお客さんのなんと多いことか…!相席テーブルに着いた途端に自然と口をつく「冷やしたぬきW(ダブル)」という呪文、茶をすすって一息ついた瞬間に着丼する恐るべき提供の速さ――この一連の様式美もまた、冷やしたぬきの構成要員であり食文化の一端であるといえます。

冷したぬき天国さんの「冷したぬき」。生卵をトッピングするのも美味。

「基本はうどん派だけど、冷やしたぬきとなると話は別」と、うどん派の支持層も厚い冷やしたぬき。そんな岐阜人は、年越しも冷やしたぬきで食べおさめしないと気が済みません。大晦日はテイクアウトして、家族みんなで年越し冷やしたぬきを楽しむのが定番という家庭も多いですよね。

寒い冬、「今日はあったかいおそばにしようかな」と決意して暖簾をくぐるのに、やっぱり口をついちゃう「冷やしたぬきW」。「春夏秋冬冷やしたぬき一択が、岐阜っ子の粋ってもんやて」――なんて岐阜人の矜持がそうさせるのかも…しれません。

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