YAONE岐阜あるあるエッセイ「あ」~「お」

岐阜あるあるカルタ「YAONE」にちなんだ岐阜愛エッセイの連載企画。「あ行」は食に関する”岐阜あるある”が満載です。あなたはいくつ共感できますか?

 朝ごはん?関係ないよ モーニング

「モーニング=morning」は言わずもがな、英語で「朝」を意味する言葉ですが、岐阜でモーニングといえば「喫茶店でサービスされる朝ごはん(ドリンクに無料で勝手についてくる)」のこと。もはや他県民もよく知る「岐阜あるある」ですね。私は、朝はキホン家ごはんという家庭で育ったのですが、モーニング自体は大好き。子どもの頃、休日の朝の喫茶店で食べた、サンドイッチやら焼きそばパンやら、家の朝ごはんにはない小洒落たメニューの味は、今も舌が鮮明に覚えています(ちょっと濃いめの味付けがいい)。

 余談ですが私みたいにモーニングの習慣がない家庭で育つと、家でも普通に朝食を食べてから喫茶店に行ったりしちゃうんですよね。朝ごはんを食べずに出かけるのは、どうにも落ち着かないというか。空腹だと身支度にも身が入らないというか。そのせいか今もモーニングに行く日は、1日4食になりがちです。

 こんな風にドリンクに勝手に朝食が付くのがデフォルトな、すごすぎ東海地方のモーニング文化ですが、「岐阜モーニング」はさらに他を圧倒。さらなるオリジナリティこそが、真骨頂な気がします。

 その最たるものが「1日中モーニング」。ってもう、ネーミングからしてすでに自己矛盾をはらみまくりですよね。朝食と言っているのに1日中って…。でも車を走らせていると、まあまあイイ頻度で現れるんです、この謎熟語を掲げた看板が。岐阜の人にとっては、これもモーニングのバリエーションの一つって感覚なんだろうなぁ。実際私も午後3時過ぎの喫茶店でコーヒーにトーストがついてきても、さして驚かない気が。そしてお腹いっぱいでも基本は断りません。午後3時の「モーニング付けられますか?」はお昼時の「無料で大盛りにできますが」と同レベルのパワーワード。個人的には午後にモーニングするなら甘い物、小倉トーストなんかがベストかな♡

 一方で、ランチ替わりにモーニングするのもけっこう好きな習慣です。普通に考えてみても、ドリンク代でお昼ごはんが食べられるって太っ腹過ぎですよね!トーストと卵のシンプルモーニングは、「夜はガッツリ焼肉」とか「食欲ないけど軽く食べたい」って日のお昼ごはんにも重宝します。

 さて、こうしたありがたいサービスを存分に享受しつつ、ふとした瞬間やっぱり心配になるのが、お店の経営状態…。それで下世話ながらも何度か取材の際に「こんなにサービスして大丈夫ですか?」と、各所のお店で聞いたことがあるんです。でも皆さん一様におっしゃるのが、

「お客さんの喜ぶ顔が見たいんやわ」

 もう…もうなんですか!その利益度外視なお客様ファースト精神(涙)。こういうところにも岐阜人根っからの“おもてなしスピリット”が息づいているのかもしれませんね。結局確かなのは、お店の方の無償のお客様愛だけなのでした。

1日中モーニングの元祖ともいわれる「ロータリー松葉」さん(山県市)のモーニング。近頃のレトロ喫茶ブームで、カラフルなクリームソーダと一緒にモーニングを楽しむ人も増えているとか。

 いつだって コンロさえありゃ BBQ

 最近はテレビの影響等もあってか、BBQ(バーベキュー)大国として、ちょっと有名になっている岐阜県。でもそもそも岐阜人って、「BBQが好きで好きでしょうがない」って自覚は皆無なのではないでしょうか。それくらいBBQってわりと岐阜の人にとって、ごくごくオーソドックスなレジャーのような気がします(ついでにいうなら合コンもけっこう川原でやりがちな気が…)。だからこそ、真のBBQ大国・岐阜らしさは、日常の暮らしの中にあるといってもいいのではないでしょうか。

 私はBBQを頻繁にする方ではない部類の家庭で育ちましたが、それでもBBQの身近さは、肌で感じることが多々あります。例えば夕暮れどきにぶらぶら散歩していると、お肉の焼けるイイ匂いに遭遇するのも日常茶飯事。ガレージでこなれた風情で火をおこしているお父さん、庭先のテラスにテーブルを出して、ビールを飲みながら優雅に楽しんでいる家族。工場(こうば)の前を通りがかったりすると、従業員の方(多分)と楽しむためのお肉を、黙々と焼く気風の良さそうな社長さん(多分)を見かけることもあります。こんな風に意図せずBBQの現場をハシゴしちゃうのも、ありふれた岐阜の風景といえるかもしれません。

 話は変わりますが、お盆に親戚等で集まるときも庭先でのBBQは定番。でもそんなとき、なぜかホスト側は「今年は手抜きで悪いね~」と、恐縮したりするんです。「え、キロ単位の飛騨牛があるのになにゆえ?」って感じなのですが、もてなす側からすると、どうやらBBQ宴会は「日常の延長」かつ、「料理してなくてゴメン」ってことらしく…そんなちょっとズレた奥ゆかしさ(?)も岐阜人らしいですよね。

  そうそう、岐阜のBBQといえば時には釣り人さんのおすそわけで高級魚・鮎が食べ切れないくらい登場することも。川国らしい食材ラインナップは海辺の海鮮BBQよりビジュアルもちょっぴりシブめ、でもそこがイイなあと思っています。

まるでイワシ感覚で景気よく焼かれる、大量の小鮎たち。
こんな鮎タワーも、岐阜のBBQでは日常的に見られる?

 それともう一つ。〆の焼きそば率が高いのは全国共通なのかもしれませんが、そばに「鶏ちゃん(ケイチャン)」とキャベツを投入するのは、まぎれもなく岐阜流。岐阜には郷土料理鶏ちゃんパックが豊富に売っているので、好みによって味も選び放題。塩、醤油、味噌etc…どれも焼きそばによく合いますよ~。味が染みてカリカリに焼けたおこげも、とんでもなく美味なんです。

 春夏秋はコンロを出しっぱなし&連日お庭でゴハンというのも珍しくない、無自覚BBQフリーク・岐阜人。今日もあちらこちらで、イイ匂いが立ち昇っています。

 鵜と鵜匠 心技一体 長良川鵜飼

 県外の友人に「岐阜に遊びに行くならいつがベスト?」と聞かれると、私は「やっぱり夏がいいんじゃない?」と答えがち。それもこれも、岐阜に来たなら一度は長良川で鵜飼を見ていってほしいという気持ちがあるからだと思います。

 古典漁法「ぎふ長良川の鵜飼」――辿ってみるとそのエピソードの華々しさも規格外!1,300年以上もの歴史を持ち、戦国時代には織田信長公が要人の“おもてなし”にこれを重用。ちなみに今もお馴染みの「鵜匠(うしょう)」という名称を与えたのも信長公です。また徳川家康公は、大坂夏の陣の後に息子の秀忠公と鵜飼を観覧。この際鮎鮨(あゆずし)のあまりの美味しさに、10回もおかわりした!なんて食道楽らしいエピソードも残っており、以来鵜飼は幕府の保護を受け、鮎鮨を将軍家に献上する制度が始まりました。

鮎を熟成させて作るなれ鮨。
岐阜で加工した鮎鮨はこの「御鮨街道」を南下し、東海道で江戸へ運ばれた。

 あの喜劇王・チャップリンが鵜飼観覧に2度も訪れているのも有名な話。その時の感動を「そのまま一遍の詩だった」と表した彼の言葉は、鵜飼の叙景詩的な風情を耽美にとらえていて、ナルホドと感心します。

 鵜飼にはあらゆる時代、身分、国籍の人々の心を掴んで離さない普遍的な魅力があるのでしょう。私も子どもの頃、早めに夕飯をすませて川原まで鵜飼を見に連れていってもらうのは、ちょっと特別な夏のお出かけでした。観覧船には乗らなく(乗せてもらえなく)ても、船着き場まで行って、出船支度をする屋形船の喧騒を目にするだけでワクワク。次第に濃くなる夕闇の中、華やかな踊り子船や開始を告げる打ち上げ花火に胸躍らせたのも、鮮明な記憶として残っています。

 特に川幅いっぱいに広がる総がらみのダイナミックな風景は、まさに動く古典絵巻。北側の岸から眺めると金華山・岐阜城が借景となって、それはそれはドラマチックな幽玄の絵物語が目の前に現れるんです。

 こんな風に岸からの俯瞰でも十二分に素晴らしいのですが、大人になって初めて観覧船から見た鵜飼はさらに別格でした。まるで古典絵巻の世界に没入するような、なんなら自分自身が絵巻の一部になったような高揚感は、やっぱり観覧船に乗ってこそ得られる感動だと思います。

 ちゃぷちゃぷと音をたてる水面(みなも)の近さ、篝火のはぜる音と熱気、とも乗りさんがドンドンと船縁を櫓(ろ)で叩く音に、ホウホウと鵜を励ます鵜匠さんの掛け声――五感を埋め尽くす臨場感に、「ああそうか、これは漁の現場なんだ」というのが、ひしひし伝わってきます。

 間近で見る鵜匠さんの手縄さばきに見とれつつその先に視線を送ると、漁にいそしむ鵜たちの姿。まるで平泳ぎの競泳選手みたいな俊敏さで潜って出てを繰り返す姿は、さながら寡黙な仕事人です。一方で船べりで鵜匠さんに何か話しかけている(ように見える)姿はなんとも愛らしい!きっと鵜匠さんと鵜の間には、私たちには知る由もない信頼関係があるんだろうなあ。家族?相棒?それともビジネスパートナー?一言では表せない強い絆があるからこそ、この鵜と鵜匠さんが織り成す“生の営み”がひと際気高く感じられるのかもしれません。

 さて、こうした鵜飼を見ているときのないまぜな情感を実に端的、かつ言い得て妙な言葉で残したのが、かの俳人・松尾芭蕉。

おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな

 鵜飼を見た後、私は必ず心の中でこの句を反芻して、時代を経ても変わらないシンパシーを静かにかみしめます。夢のような魅惑のひとときと、鵜船が去った後のもの悲しさと――そんな夢まぼろしの “非日常”が、毎夜繰り広げられる “日常”であることに気付くとき、1,300年もの間、連綿と受け継がれてきた伝統の尊さを思い知らされるのです。

エンドレス 甘~い柿の おすそわけループ

 子どもの頃、祖父母の家に古くからある柿の1本木で、赤く熟した実を収穫させてもらうのが何より楽しい定番行事でした。そう、岐阜といえばやっぱり柿!秋になると食べ切れないほど柿がある家庭も多いのではないでしょうか。

 9月頃、早生(わせ)品種の柿を購入しているうちはまだ通常モードなんです。でも秋の深まりと共に農家の親戚及びご近所さんから大量に柿をいただく機会が増えると柿事情は大変化!各家庭「消費量<在庫」という方式が完成すると同時に、“柿のおすそわけループ”が始まります。親戚からもらった柿を右隣さんにあげたそばから、「実家で大量にもらったの」と、左隣さんからいただく…そんな日常も岐阜の“あるある風物詩”。たくさんの赤い果実たちが、やどり木を求めてあっちのお宅こっちのお宅へと流浪しています。

 こんな言い方をしていますけど、決して柿を軽視しているわけでも、押し付け合っているわけでもありません。事実、岐阜人ほどコンスタントに柿を食している県民、他にいないのではないでしょうか。朝食に半個、お昼は定食屋さんのデザートで1切れ、夕食後のデザートに朝の残りの半個…と、秋は3食登場する日だってざら。そんな風に気安く食べつけているせいで、高級果物店で美しく梱包された姿を見かける度、驚いちゃうのかもしれませんが(笑)。

 甘柿に限らず干し柿だって物心ついた頃からおやつのレパートリー。そもそもあの織田信長公も、もてなしのデザートに干し柿をセレクトするほど、昔から岐阜人の柿愛は筋金入りなんです。今だって干し柿を軒先やベランダに吊るしている家は多いし、お店でも干し柿に栗きんとんを詰めたり、クリームチーズを挟んでお酒のおつまみにしたり…と、なかなか前衛的な食し方に出会えます。それにしても干し柿に栗きんとんをinするって高級なのかワンパクなのか…こういう思い切りのイイ岐阜人の感性、面白いですよね。

柿と栗、秋の味覚の最強×斬新コンビ。お土産にいただいても狂喜乱舞です(笑)。

 豊富にある柿をいかにおいしく食べ切るか――柿を通して見てとれるのは、岐阜人のあくなき食への執念。実はぷらざの記事でもけっこう何度もやっちゃっているんですよ、「柿を大量消費するためのアレンジレシピ」的な企画。「高級果物に何さらしとんねん!」と、他県民の方にツッコまれそうですが、それはもう本当に真剣だったなあ。肉を巻いてフライにしてみたり、ミキサーにかけてプリンをこさえてみたり…。

 でもある時ふと気付いたんです。「柿ってそのまま食べるのが結局一番おいしいやん」ということに。それ以降、変にアレンジすることは諦めました(笑)。生の甘柿は酸味がなくて、濃厚な甘さがとにかく別格!特に甘いものが貴重な昔の人々にとってはより魅惑的だったでしょうね。

 さて柿のもう一つの魅力といえば、やっぱり熟し具合による食感の変化ではないでしょうか。熟して間もない柿はゴリゴリ硬くて歯ざわりがバツグン!ちなみに私は、このゴリゴリ期を最も愛しています。でも一方で、硬い柿を晩秋までおうちででじっくり追熟させるのも密かな楽しみ。包丁も入らないくらい実が柔らかくなったら、ヘタだけ切り取って、スプーンで実をすくっていただきます。

 トロトロぷるるんとゼリー状になった柿は、どんな高級デザートもかなわない至福の美味♡未体験の方は、ぜひ試してほしい食べ方です。1人でも1個、ペロッと食べられちゃいますよ。

 そもそも、岐阜の皆さんはどの時期のどの食感の柿が一番好きなんだろうなあ。いつか調査してみたいなあと、密かに思っています。

大晦日 すき焼き食べて 前祝い

「旅行は行くまでが一番楽しい」、「クリスマスよりもクリスマスイブの方が盛り上がる」、というのはよくある話ですが、岐阜人にとっては年越し準備と大晦日もそれに当てはまるのかもしれません。私自身12月は、1年通してもかなり上位で好きな月。根が億劫ゆえか、年の瀬のせわしない雰囲気に押されてバタバタ忙しくしている充足感に、いつもより多めにアドレナリンが出ている気がします。

 さてそんな師走にあって、お肉屋さんに普段よりちょっとイイ牛肉を買いにいくことも岐阜人がすべきTO DO リストの一つ。我が家も12月に入ると早々に、冷凍庫のスペースを確保して養老方面に飛騨牛の買い出しに走ります。

 これはもちろん、お正月のお祝い用でもあるのですが、実は岐阜人、ご馳走を食べることに関しては文字通り食い気味…というか、かな~りフライング気味。「大晦日=お正月イブ=パーティーの日」というわけで、年が明ける前から早くも飛騨牛を開封して、すき焼きパーティーをおっぱじめちゃうんです。私も特に大学時代は、帰省して家でつつく年末のすき焼きが本当に嬉しかったなぁ。寒い冬、久々に岐阜に帰省して食べる飛騨牛の至福ときたら…。テーブルでぐつぐつ煮えている甘辛味のすき焼きは、最上級の家庭の味なんですよねぇ。

 …なんて思い出に浸っていたいところですが、岐阜人にとって大晦日のすき焼きは、あくまでお正月のご馳走パラダイスになだれ込むための前哨戦。お正月はお正月で親戚が一堂に会すると、今度はしゃぶしゃぶパーティーが始まります。おそらくこの年末年始で、年間で食べる飛騨牛のうちのほとんどを消費しているんじゃないかなあ。何もこんなに貯め食いする必要はないと思うんですけど、やめられないから風物詩になっているんでしょうね。

 ちなみに私しらべでは、「大晦日はすき焼き、お正月はしゃぶしゃぶ」という家庭がかなりの割合で多い印象。連日の暴飲暴食で多少胃が疲れても、「しゃぶしゃぶならさっぱりしてるからイケるやろ」って計算によるものなのかなぁと思うのですが、いかがでしょう?

 ところで他県の大晦日はというと…?おせち料理をせっせと作りながら、夕食や夜食にせわしく年越しそばをすするというのが、どうも定番らしいです。それでいうと、岐阜の人ってお昼ごはんに年越しそば(しかも冷やしたぬき)を食べがちですよね?ここにも夜のすき焼きに備えてお昼は軽くすませておこうという打算が、無意識に現れているのでしょうか(笑)。

 それはそうと、夜食に食べる年越しそばって、想像するだけですごくそそられる♡でもすき焼きをたらふく食べ後だと、おそばはあんまり入らないだろうなあ(すき焼きの〆にうどんも食べてるし)…悩ましいところです。

深夜の年越しそばを阻む?〆のうどん。

 とにもかくにも“食欲”という煩悩にまみれた年の暮れも明けも、岐阜人には鋼の胃袋が必要不可欠。来るべき年またぎ飛騨牛リレーに備えて、クリスマスは多少節制しようかなと、一応思ったりします。

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