YAONE岐阜あるあるエッセイ「な」~「の」

岐阜あるあるカルタ「YAONE」にちなんだ岐阜愛エッセイの連載企画も、ついに前半ラストの「な行」に。今回も岐阜ならではのユニーク文化が満載の「岐阜あるある」揃いです。岐阜を代表する武将2人もご登場!

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夏の友 カドケド解いて 公園プール

小学生時代の夏休みは、人生レベルでも、指折りの超長期休暇。そのせいかは分かりませんが、今でも夏休みシーズンが始まる7月20日前後になると、バカンス気分が高まって無性に気持ちが浮かれてきます。朝のラジオ体操が全国各地からの元気な中継になったり、映画館の公開ラインナップにアニメが増えたり…世間全体が夏休みムードになるのも、なんだかアガりますよね。

とはいえ改めて夏休みを振り返ってみると、なかなかハードだった思い出。私は小学生の頃から筋金入りの怠惰人間でしたが、夏“休み”という言葉を敏感に察知した結果、夏季休暇中だけはかなり張り切って過ごしていたような気がします。デフォルト的にとある1日を例に出してみると、朝4時台に起きて近くの藪にクワガタ採集に行ったら、そのままラジオ体操会場(最寄りの公民館前)に直行。朝ごはんを食べたら宿題をやっつけて、10時からは友達とケッタでお出かけ。いったん戻ってお昼をすませたら、今度は服の下に水着を着込んで学校のプールへ。家に帰ったら真っ暗になるまで缶蹴りやら各種鬼ごっこに興じ――もはやワーカホリック並のストイックさと分刻みのスケジュールで、毎日遊び倒していた記憶です。

前置きが長くなりましたが、今回注目するのはそんなリア充な夏休みを彩る、3つの岐阜あるある「夏の友」「カドケド」「公園プール」。まずは午前の部の宿題タイム「夏の友」からご紹介しましょう。

「夏の友」といえば、夏休みになくてはならない定番の冊子。問題集だけでなく面白くてためになる読み物や企画が豊富で、毎年もらえるのを楽しみにしていた方も多いのではないでしょうか。でも実はこれ、岐阜県独自で70年超続いている冊子なんだとか。かつては全国各地にあった同様の冊子が時代と共に衰退する中、岐阜では先生たちの情熱によって令和の今も作られ続けているのです。その歴史を紐解くと、始まりは戦後間もない1949年発行の「夏の子」。それが1953年に「夏の友」となり、現在は岐阜県校長会館の発行になっているそうです。連綿と続く先生たちの熱い想いが、郷土の学びに繋がっているんですねぇ。

そして夏の友に並ぶ夏休みの宿題といえば「カドケド」の総ざらい。「カドケド」の学習は、真面目な(?)小学生は繰り返し学習の観点から学期中はノートに解答を書いたものですが、夏休みになると満を持して叶うのが、カドケド本体への書き込みです(※平成初期はそうでした)。――と、ここまで書いておいてなんですが、「カドケド」って皆さんなんだか分かりますか?「言わずもがな『漢字ドリル』と『計算ドリル』のことでしょ」と思った方は、岐阜人度がおそらく高め。どうやらこれ、岐阜ならではの略語らしいのです。先生も「今日の宿題はカドの8~10、ケドの16、17」みたいに当たり前に使うので、スーファミ(懐かしいw)やプレステと同レベルの常識語と思いがちですよね。ルーツは謎ですが、この限界まで略した意味不明の略語は「了解⇒りょ⇒り」くらいの思い切りの良さがあって、時代の先取り感すら感じます。

さあ、ようやく午後の部「公園プール」に突入!夏休みに開放される学校のプールと同様、特に未就学児~低学年が大変お世話になるのがいわゆる「徒渉池」、水深の浅い公園内のプールです。学校まで行くのが億劫な日は最寄りの公園プールでゆるり水遊びと洒落込むのも低学年定番の過ごし方。でもあまりに当たり前過ぎて最近気付いたのですが、岐阜の公園ってとにかくプールの設置率が高い!少し広めの公園には、当たり前にプールが設けられている気がします。そしてお決まりのようにいらっしゃるんですよね、ニヒルなお顔のこのカラフルなぬりかべさんが。

金園公園のぬりかべ。

「なんや、これシャワーやろ」と分かった方は、これも岐阜人度がかなり高いでしょう。なぜならこのぬりかべロボシャワー、未だ岐阜以外で存在が確認されていないのです(※ぷらざ調べ)。

気になって岐阜市様に問い合わせてみたところ、岐阜市の徒渉池の総数は、なんと85箇所にも及び、1958(昭和33)年の野一色公園のものが初設置だそう。残念ながらぬりかべロボシャワーの発祥と由来は不明でしたが(※野一色公園にはないため)、各徒渉池のシャワーはご覧の通りほぼほぼみんな同じ形状の色違いである点も興味深いですね(ぷらざ調べ)。

現在、ぷらざ読者さんの力もお借りしながらこのぬりかべロボシャワーの設置公園を調査中(詳細はXにて)!プロトタイプをご存じの方、さらにはシャワー制作者の方がいらっしゃったら、ぜひご一報いただけると幸いです。

近頃は小学生の生活スタイルも変わり、昔ながらの徒渉池の運営・稼働自体はめっきり減少傾向に(涙)。でも夏休みの思い出が鮮やかに蘇るほっこりなごむこの景観は、これからも愛していきたいものです。

煮餅がどん 雑煮はとことん いぶし銀

皆さん、お雑煮はお好きですか?――と、話題になることなんて滅多にないくらい、岐阜のお雑煮は地味…いやいやシンプルな佇まい。お正月の朝食、お椀の蓋を開けると湯気と共に現れるのは、あっさりすまし顔のおつゆに煮餅、菜っ葉とハラリかつおぶし。オーソドックスな岐阜のお雑煮って、とにもかくにもシンプルなんです。それもあって小さな頃は好き嫌いの対象になることすらなく、行事食の一環として黙々と雑煮を食していた記憶。だからテレビや雑誌で初めて目にした全国各地の雑煮は、かなりのカルチャーショックでした。「え、海老もいくらも乗ってて豪華過ぎん?」、「お魚の切り身入ってるやつ、神!!」などと、津々浦々の華やかな雑煮ビジュアルを食い入るように見つめたことは、今も忘れられません。

「お」の札でも紹介しているように、大晦日に御馳走を食べる習慣がある岐阜。これは岐阜のお正月が“年取り”、つまり“年を越す”という行為に重きを置いているからだそうなのですが、その反動のように年明けは究極に簡素な雑煮を食すのも面白いところです。確かに、大晦日にたらふく食べて呑んでいたら、元旦はあっさり優しいお雑煮の方がお腹にすーっと納まるのかも?そして何より凛と冷えたお正月の朝には、胃の腑に沁みわたる一杯がベストなのかもしれませんね。

さらにこのお雑煮は、岐阜の風習とも深く結びついているのだとか。それは朝一番、男性が若水(一番水)を汲んで雑煮を作るというならわしです。お正月は普段休みなく働くお母さんにも料理に使う刃物にも休んでもらいたい…その結果、普段料理をしない男性(※ひと昔前のステレオタイプです)でも作れるシンプルなお雑煮が定着したのだといいます。ちなみに岐阜のお雑煮は、角餅を煮て食すのが主流。お餅を焼かないのは手間を省く意味に加えて、お餅の「白=城」に見立てたゲン担ぎともいわれているそうですよ。個人的には椀底でとけてくっつく半分とけた煮餅がちょっと苦手なので、密かに焼いてから汁に投入していましたが、最初に餅菜を底に敷いておけば底にくっつく問題は解消されるそうなので、次回は試してみたいと思います。

最後に岐阜の雑煮といって忘れてならないのは「餅菜(正月菜)」の存在。師走になると突如野菜売り場に姿を見せる、小松菜にも酷似した謎野菜です(※実際、近年は小松菜が餅菜として売られていることも多いです)。調べてみると餅菜はこの地方の伝統野菜で、葉が柔らかくて傷みやすいため広くは出回っていないのだとか。まさに「餅は餅菜」、お雑煮のための特別な野菜と思うと、椀の中でくたっと柔らかくなった菜っ葉の食感もほんのりえぐみが沁み出したおつゆの滋味もひとしおです。

スーパーに大量の餅菜が並ぶ師走の光景ごと、年末年始の風物詩。お正月の御馳走前にも〆にも好相性の岐阜のお雑煮、これからも愛着を持って食していきたいものですね。

抜け目なし マムシの道三 美濃にあり

岐阜を代表する武将といえば、織田信長公の右に出る者はいない!と、きっと多くの方が思うことでしょう(「の」の札参照)。でも岐阜人としてぜひ猛プッシュしたいのが、その信長公の岐阜の義父でもあるこの方、斎藤道三公!自らの主人である美濃守護・土岐頼芸(よりのり)を追放し、美濃平定を成し遂げた岐阜・戦国の風雲児です。一代で「国盗り」を果たした稀代のカリスマは、「下剋上」の代名詞としても戦国ファンにその名を知られていますよね。自らの目的のために手段を選ばず突き進む道三は「美濃のマムシ」の異名通り、残忍でコワモテのイメージ。その鋭い眼光にとらえられたら、きっと誰もが蛇に睨まれたカエルの如く、すくみ上がっちゃうこと間違いなしです。

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だから2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」で、あの本木雅弘さんが斎藤道三役で出演すると知ったときは、それはぶったまげたもの。「男前代表のモックンが、あの非道な道三を!?」と、道三公に対してかなり失礼な驚きと共に大興奮したのは、今も色褪せない記憶です。そんな本木さんが演じた「麒麟がくる」の道三公は、自己中心的で嫌なところもたくさんある人物なのですが、それを超越して人間臭さ含めて大変魅力的な人物像に。槍の名手たる立ち回りもすごくカッコよかったのですが、何より美濃一統だけにとどまらず、大きな理想を求める人物なのが胸アツでした。もちろん従来のイメージ通りの冷酷な面も描かれていましたが、清濁併せ呑んだ上でのカチコミ決断や、物事の本質を見通す頭脳明晰さは、まさにダークヒーロー。道三公の広い視野でもって描いた志は、明智光秀公や信長公の目指す世の指針にきっとなっただろうなあと思うと、誇らしい気持ちさえ湧いてきます。

大河ドラマと共に登場して話題沸騰の斎藤道三公蝋人形は、現在岐阜城資料館に(改修工事のため2027年秋まで閉館中)。どの角度から見ても完ぺきな3Dイケメンです!

ちなみに司馬遼太郎さんの「国盗り物語」でも道三公は大変魅力的な野心家(しかもイケメン)なので、未読の方はぜひ読んでいただきたいところ。本木雅弘さんだけでなく、他にも様々なドラマや映画で名だたる俳優さんが演じていらっしゃるので、過去の時代劇等も要注目!最近ではわずか数秒のご出演ながら、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の麿赤兒さんのビジュアル&雰囲気の再現度の高さも話題になりました(ぜひ「豊臣兄弟!」のサイトをご覧ください)。

最後に余談ですが、岐阜城に行った際に見てほしいのが、山頂部・下台所にある岐阜の両雄を表す1対の句。「信長公の 野望燃え立つ 金華山」というかっこいい句に対し、道三公のは「道三公が 城主の時代は 稲葉山城」。一字も無駄にすることなく事実確認に終始した一句となっています。岐阜の方にも県外からお越しの方にも、「道三公」を知ってもらうにはこの上ない簡潔明瞭な17音、逆に清々しいですよね。そんなわけでこの美濃のマムシ・道三公を“元祖・岐阜を代表する武将”として全国の皆さんにお見知りおき&今後ますます愛していただきたいところ。――だから彼の出身が実は京都(山城国)であるということは、控えめにお伝えしておきます。

熱の日の 見舞いに嬉し ニッキ寒天

プリンにフルーツインゼリー、ちょっと大人なコーヒーゼリー…おやつの時間がひときわトキメくのはやっぱりぷるるん系スイーツ。冷蔵庫に入っているのを確認した朝は、学校帰りの長い通学路も足取りが軽くなったものです。そんなぷるるんスイーツの中で一線を画しているのが「ニッキ寒天」。ピンク、黄色、緑のカラフルな見た目がレトロでキュート、素朴なプラスチックカップに入った、スーパーでもお馴染みの商品です。

スーパーや道の駅に行けば高確率で目にするこの寒天ですが、実はほぼほぼ岐阜でしか売られていないというから驚き。以前取材させていただいた、ニッキ寒天を製造する谷田商店さん(揖斐郡池田町)によると、もとはこんにゃく作りの閑散期にところてんやニッキ寒天を作り始めたのがきっかけだとか。岐阜は東濃地方にある恵那市山岡が寒天の一大生産地として知られていますが、それも関係しているのかな。はっきりとした因果関係は分かりませんが、岐阜に寒天好きな土壌があるのは間違いないでしょう。

さらに驚きなのが、このニッキ寒天がプリンやゼリーと並ぶカップデザートコーナーではなく、かなりの確率でお菓子売り場の一角に陳列されている点。その秘密はずばりニッキ寒天の「ニッキ」!ニッキには抗菌・殺菌作用による防腐効果があるので、こんなプルプルでみずみずしいお菓子でも、常温保存が可能なんだそうです(食べるときは冷蔵庫で冷やすといっそう美味です♡)。意図的にニッキ味を目指してしていたわけではなかったとは…!これもまた驚きです。

とはいえ、ニッキ寒天は見た目を裏切るニッキの風味がやっぱりマスト!透き通った寒天にスプーンを差し込むと、寒天ならではのキレのよいASMR。口に入れればブルンと心地よい固めの舌ざわりの後、ピリッとした辛みと香りが追いかけてきます。我が家では風邪をひいてお休みすると、祖母がお見舞いに持ってきてくれる定番おやつだったので、「みんなは今頃、テスト受けてるのかな~。かわいそうに」なんてお布団でホクホクしながら、ひんやり心地よい口当たりを堪能したもの。そんな背徳感と優越感、ツンと鼻をくすぐる独特の清涼感がスパイスになって、おいしさもひとしおでした。

こうした思い出があるからか、大人になった今も、ちょっと熱っぽいなとか疲れているなというときに無性に食べたくなる味。何となく冷蔵庫にストックがあると安心なスイーツです。ニッキの力で保存とおいしさを両立したニッキ寒天は、日持ちする上、低カロリーでヘルシーなのも嬉しいところ。納豆のパックと合わせて、一家に1パックは常備しておきたい二大巨頭…というのはさすがに言い過ぎかもしれませんが、3時のおやつにお風呂上りのデザートに…と、冷蔵庫のレギュラーメンツとして、これからも愛していきたいものです。

信長公 十年住んどりゃ 岐阜の人

「ぬ」の札では、元祖・岐阜を代表する武将として斎藤道三公の魅力をご紹介しましたが、岐阜の義父(何度でも言うw)である道三公の意志を継いで約12年後、美濃に理想国家を体現した人物こそ、我らが織田信長公。その人気とカリスマぶりは、他の戦国武将の追随を許さないほど圧倒的。すらっとスマートな体躯に端正な顔立ち、天下一統にあと少しまで迫った強さ、さらには悲劇的な最期…そのどれもが「第六天魔王」の異名にふさわしい戦国ヒーローたる所以かもしれません。

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さて、そんな戦国の革命児ともいうべき信長公が、尾張(愛知県)出身の武将であることは学校の授業でも習う常識中の常識。道三が息子・義龍に討たれると、信長は孫の龍興の代に美濃を攻略。1567(永禄10)年に稲葉山城に入城し、この地の名前を「岐阜」に、城の名も「岐阜城」に改めました。いうなれば岐阜は、乗りに乗りまくった青年~壮年期にかけての信長公が、約10年もの時を過ごした重要な地。この期間に岐阜城も大きく改造し、ここを拠点に「天下布武」を掲げて天下取りの夢に邁進していったのです。

こうした歴史的な華々しさだけでも「信長公は岐阜の人(じん)」と、我々がのたまう理由としては十分なのですが、今なお信長公がこれほど岐阜で愛されているのは、きっと他ならぬ彼自身が岐阜を愛してくれたから。道三公が築いた長良川の水運を基軸としたまちづくりを基盤に、信長公はここをさらに豊かなまちへと発展。楽市楽座で経済と商業の自由化を図るなど、柔軟かつ先進的なまちづくりを行いました。その賑わいは宣教師ルイス・フロイスに「その賑わいバビロンの如し」と言わしめたとか。バビロンの賑わい自体は具体的に存じ上げないのですが(笑)、何だかすごく活気ある大都市感が伝わる比喩ですよね。

そんな信長キングダム・岐阜は、信長公が自らの理想のまちづくりを隅々まで具現化したユートピア。だからこそ岐阜城や山麓の迎賓館で客人を接待し、要人を鵜飼観覧に招待して…と、手ずからのもてなしも嬉々として行ったのでしょう。きっと自分がイチから作り上げたという自負がある、ご自慢のまちだったんだろうなぁ。戦上手で冷酷非道なイメージとは真逆の、信長公の情に厚くて世話焼きな一面が垣間見えるのもなんだか嬉しいですよね。

ルイス・フロイスが「地上の楽園」と称えたという山麓の迎賓館(織田信長公居館跡)。フランシスコ・カブラル来訪時の晩餐会では、庭にいる鳥を殺させて料理に出すよう命じたとか。

戦国時代に築いた城下町の骨格と風情、そしてもてなしの文化が今に息づく岐阜のまち。その息吹を感じると、信長公は10年どころではなく450年以上にわたってこの地に息づいた「岐阜の人(じん)」と言えるような気がします。

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