節分が近づくと、まちのあちこちに出没する「節分のジャンボ鬼」たち。おなじみの光景ですがこの風物詩、岐阜独自のものということをご存じですか?実はぷらざで販売している岐阜あるあるカルタ「YAONE-やおね-」でも、こんな札で紹介しています。
そこで1・2月号では、まちの至るところに現れる岐阜のジャンボ鬼たちを徹底調査。本誌では貴重な未公開写真&情報でお届けします。ジャンボ鬼のあるところには、歴史と物語アリ!さあ、ほのぼのあったかでちょっぴり怖~い、鬼巡礼にまいりましょう。
岐阜市編
東光山玉性院
ジャンボ鬼といえばココ!巨大鬼三兄弟
巨大鬼といって、きっと多くの方が思い浮かべるのが岐阜市加納にある玉性院さんの3体の鬼。昭和27年、戦後の辛い時期にみんなを和ませたい、盛り上げたいという気持ちで先々代の満海住職が節分つり込み祭りと鬼像の制作を始めたと伝わります。鬼は当初はわらで肉付けして布を巻くスタイルで、ボディ部分は毎年作り直していたとか。現住職・玉護雅秀さんの子どもの頃の記憶によれば、昔は青鬼もいたそうです。
ではまず、一番歴史の古いお寺の境内の前にある「門前鬼」の系譜から探ってみましょう。まず見せていただいた写真は昭和28(1953)年に撮られたもの。
これは、つり込みまつりの際の鬼とそれを作った人々の集合写真です。右手のお福さんと金棒を持って逃げるかわいそうな鬼の姿はちょっぴり笑えますが、実は初代の門前鬼、ビジュアルの恐ろしさは歴代鬼の中でもおそらくダントツナンバーワン!
…なんとも想像を超えて世にも恐ろしい姿ですが、これには門の前を通れなかった子どもたちが続出したという逸話にも納得です。
一方、現在の門前鬼(2代目)はこんな感じ。
造りは竹籠ベースの張りぼてタイプで、頭に手をやった逃げ腰の体勢が、初代と比べてずいぶんひょうきんです。
逃げる気満々の後ろ姿も、なんだか憎めないですね。
鬼データ
高さ:約3m
造り:張りぼて(竹・和紙)
誕生時期:初代は昭和28(1952)年誕生(推定)、今の鬼は平成12(2000)年
設置時期:1月13日(成人の日)※2月9日撤去予定
そして玉性院さんといえば門前だけでなく、大通り沿いに立つ2体、規格外の超ジャンボ鬼も名物です。編集室の中にも「子どもの頃、幼稚園バスに乗せられて見に行った」という思い出のあるスタッフがちらほら。確かに鬼の前を通るたびにドギマギしつつも、怖いもの見たさで身を乗り出していたなぁ…なんて、云十年前の記憶が思い出されます。
この超巨大化が進んだのは1965(昭和40)年のこと。そこで今回、昭和40年代に撮影されたという、つり込み祭りと初代ジャンボ鬼の写真を見せていただきました。
頭に雪をかぶって寒そうですが、すらっと足が長くてヒーロー風の顔立ちもなかなかハンサム。手描きの乳首とギャランドゥ(なのかな?)もなんだかセクシーです。周りの建物や写り込む人々との対比からも、かなりの大きさであることが伝わりますね。
さらに時代は進み、1995(平成7)年には、現在の鬼の原型となる2体が誕生。表情も個性的で味わい深いです。このもじゃもじゃ頭は、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
こうして大きな鬼の全体像を眺めてみると、周りの景色の移り変わりをも楽しいですね。「子の子」の看板、懐かしいです。
また、この2体、清水緑地の前と朝日町交差点という大きな通りに面していることから、警察の許可を得て立てているそう。「ゆっくり走ろう」の標語をたすき掛けして、交通安全を呼びかける役割も担っています。確かにこの光る目でギロリと睨まれたら…身も引き締まりますね。
そして現在、ジャンボ鬼ズは…こうなっています。
数年前に頭部のみすげ替えられたのですが、これがまたカッコイイ!制作は恐竜ロボット制作でも有名な、あの「郡上ラボ」さん。スキンヘッドに立派なひげのデビルマン風(清水緑地)と、コワモテで毛が逆立ったサイヤ人風(朝日町交差点)、あなたはどちらがタイプですか?
風貌は変わっても、交通安全スピリッツもしっかり継承されています。
岐阜のジャンボ鬼伝説を牽引する玉性院の3体の鬼たち。まずは通りすがりにその姿を拝んでみてはいかがでしょう?
鬼データ(2体共通)
高さ:7.2m
造り:張りぼて(竹・和紙)、顔は金属フレーム、スポンジ
誕生時期:初代は昭和40(1965)年。今の鬼は平成7(1995)年に作られたもの。平成30(2018)年に顔のみ新設
設置時期:1月13日(成人の日)※2月9日撤去予定
2月2日(日)第74回玉性院節分つり込み祭り
12:00~18:00 厄除開運星祭祈祷豆まき(10分おき)
19:00~20:00 柴燈大護摩、節分つり込み祭り行列
ご祈祷料を納めれば豆まきは誰でも参加可能。豆は協賛の当たりクジ付きです。
所 岐阜市加納天神町3-8
TEL 058-271-0483
慈恩寺
地域で守る、赤鬼どんと青鬼どん
続いてご紹介するのは鶯谷トンネル近く、慈恩寺の木造延命地蔵菩薩坐像の地蔵堂の前の、赤青1対の鬼像。赤鬼と青鬼が仲良く2体並んでいる点もレアですが、今回の調査において最も謎に包まれていた鬼像でもあります。
地元の方によると、こちらの鬼像は近くの園児たち定番の見学&撮影スポットになっているそう。大人よりは一回り大きいもののジャンボ鬼の中では比較的小ぶりなので、記念写真も撮りやすいのだとか。園児たちは鬼に大はしゃぎしたり時には泣いたり…。そんな微笑ましい光景も風物詩となっています。
現在は地元の自治会で大切にお世話しているそうですが、残念ながらルーツを知る方には出会えず…。ただ「生まれた頃にはもうあった」、「引っ越してきた頃には既にいたはず」、「多分100年くらいあるはずや!」等、長い歴史を物語る声が多数聞かれたので、誕生の頃を直接知る方はもういないのかも…?いずれにしても岐阜鬼像の最古参組であることは間違いなさそうです。
鬼データ
高さ:1m80~90㎝
造り:張りぼて
誕生時期:約100年前(推定)
設置時期:節分の約2週間前~
所 岐阜市大門町23
長久山正覚院
かしげた首とおとぼけ顔の癒し系
さて、続いてご紹介する鬼は個人的に癒し度ナンバーワンと思っているお気に入り。ちょっぴり眠そうな優しい顔とかしげた首に寸胴スタイル…全ての要素がなんだか愛おしい、正覚院の巨大鬼です。
こちらの鬼は、なんと檀信徒さんが厄払いにと寄進されたものだとか。正覚院のある中心市街地一帯は戦争で焼け野原になった地域で、戦後の復興への願いをこめて制作されたものと伝わります。竹ひごと和紙で作られた鬼は、寄進以来お寺で手直しをしながら大切に引き継がれてきたもの。今となっては寄進当時のことを直接知る方はいないそうですが、節分が近づくと、近所の皆さんが鬼の登場を待ちわびるのは令和の時代も変わらない光景。「丈夫に作ってあるので長持ちするし、毎年楽しみに見にきていただけるのは嬉しいですね」と住職の山本雅子さん。復興の証が、今ではまちの愛されシンボルになっています。
鬼データ
高さ:5m弱
造り:張りぼて(竹・和紙)
誕生時期:昭和40年代
設置時期:1月20日頃 ※2月3日午前中撤去予定
2月2日(日)節分会と星祭
10:30~17:30 豆まき
15:30 採灯大護摩祈祷
正覚院の豆まきは、福が来るようにと「福は内!」から言うのが特徴。当日は手作りの麹甘酒のふるまいや干支入り節分限定御朱印の販売もあります。
所 岐阜市神田町1
TEL 058-264-8048
岩戸弘法弘峰寺
映えスポットとしても話題の顔面鬼
さて、今度は市街地から少し離れて金華山の南側の麓・岩戸公園方面へ。実はここに、岐阜鬼像史に新風を巻き起こしている顔面だけのド迫力鬼像があるんです。人がすっぽり収まるくらいに口を大きく開いた顔面鬼は、インパクト大!「顔だけでもダントツ大きい鬼を」と、住職の田村昌大さん自ら制作しました。
住職曰く鬼は「仏教における3つの煩悩」=「3毒」を表すもので、中でも赤鬼はその一つ「貪欲(とんよく)」の象徴。大きく口を開けているのは悪しき心を噛み砕くためで、「毒は毒をもって制す」との想いが込められています。
ちなみに鬼像のモチーフは「鬼滅の刃」の煉獄さん。怖さとカッコよさが同居した令和の鬼は、カリスマ性もピカ一ですね。
カメラマンの顔も持つ住職、時にはスモークを焚いて鬼の本格撮影会を実施することも。口元に座って写真を撮ると厄除けになるという噂もあり、訪れた際は一緒に撮影してみてください。
鬼データ
高さ:約2m
造り:発泡スチロール、特殊溶剤
誕生時期:令和3(2021年)
設置時期:年中
2月2日(日)大節分祭
9:30~15:00
所 岐阜市長森944-99
TEL 058-245-6621
岐阜善光寺
マッスル化が進行中!?みんなで作る筋肉鬼
岐阜のジャンボ鬼において、近年新たな進化を遂げているのが岐阜善光寺。きっかけは現住職・松枝秀乗さんのお兄さんで、2018年に亡くなられた前住職・秀晃さんの「お寺を人が集う場所に」という願い。その形として誕生したのが境内前の巨大鬼です。その最たる特徴は毎年新たな姿に生まれ変わること。有志メンバー「善光寺サポーターズ」が竹の調達から着色まで行う完全ハンドメイドで、金棒ならぬ“叶棒”に挑戦したいことを書いた短冊を貼り、節分後に鬼のお焚き上げを行います。
その歴史を紐解くと、明治初期の記録に残るほど長い善光寺の節分行事。昭和初期には門前のものとは別に鬼像が既に存在していたといい、当時はリアカーに乗せて周辺を練り歩き、節分行事のPRもしていたそうです。時にはこの鬼が、盗まれる事件も勃発したとか…!そんな波乱にとんだ初期の鬼のルーツを組んでいるのが、古くから本堂に設置される赤鬼と青鬼です。
知る人ぞ知るこの1対の赤鬼と青鬼。こちらの2代目で約50年、初代から数えると90年超の歴史があると考えられており、慈恩寺の赤鬼青鬼と並ぶ長い歴史がうかがえます。しかも節分行事の際には玉性院の満海住職もお手伝いに来られていたそうなので、この鬼から先述の玉性院ジャンボ鬼のインスピレーションを得た可能性も大いにアリ!そう考えるとこの2体は、岐阜の鬼像史において非常に重要な存在といえそうです。
鬼データ(本堂の赤鬼・青鬼<2代目>)
高さ:2m超
造り:張りぼて(竹・和紙)
誕生時期:初代は昭和初期?現在の鬼は約50年前(推定)
設置時期:1月19日頃撤去予定
話は少しそれましたが、2018年から毎年個性的なビジュアルで楽しませてくれるのが、今回メインでご紹介の境内前のジャンボ鬼。その変遷を一挙振り返ってみましょう。
何だか筋肉の遍歴みたいな紹介になってしまいましたが、年を追う毎に作り手の腕も鬼の筋肉も成長著しいのが、善光寺マッスル鬼の特徴。そして撮りたてホヤホヤの2025年バージョンがコチラです!
おお~今年もイイ感じにパンプアップされていますね!!
9代目はカラフルな水玉模様も斬新。黒色を一切使わずに仕上げたという鬼は、赤いボディに青と黄の水玉が映えています。吊り上がった目や鋭い牙ながらも、とっても陽気に見えますよね♪今年の鬼さんも個性的でイカしてます。
ちなみに筋肉視点(?)でいうと、「今年は強化された下半身に注目してほしい」と住職さん。中でもふくらはぎの筋肉がポイントだそうですよ。ぜひ今年も、この善光寺の鬼ならではの肉体美にご注目ください。
鬼データ(境内前のマッスル鬼)
高さ:3~4m
造り:張りぼて(竹・和紙)
誕生時期:平成30(2018)年
設置時期:1月19日頃 ※2月5or6日にお焚き上げ予定
2月2日(日)節分星祭り
9:00~20:00 ご祈祷・豆まき
所 岐阜市伊奈波通1-8
TEL 058-263-8320
揖斐川町編
谷汲山華厳寺
厄災を払う名物“股くぐり鬼”
ジャンボ鬼伝説は岐阜市だけにとどまりません。西国三十三所満願霊場の「谷汲山華厳寺」は、「谷汲さん」の愛称でも親しまれるお寺。仁王門前に現れる節分の巨大鬼は、春の桜や秋の紅葉にも匹敵する人気者です。鬼を設置したのは地元の観光協会。参拝される方々のために煩悩・邪気を払うシンボルとして設置され、現在の鬼で3代目を数えます。
張りぼての鬼は立派な角と牙を持ちながらも、意外と可愛い大きな目がチャームポイント。またなんといっても特徴は股の下をくぐって参拝できること。
赤鬼の股をくぐると1年の厄災を避けられると言われており、縁起物の鬼として人気を博しています。満願のお寺として知られる華厳寺ですが、股下をくぐれるこの期間はご利益もひとしお、といった気分になりますね。
鬼データ
高さ:4m
造り:張りぼて
誕生時期:初代は昭和40年代(60年前)。今の鬼は25年ほど前
設置時期:1月中旬~2月中旬
2月2日(日)谷汲山華厳寺節分厄除祈願会
所 揖斐川町谷汲徳積23
TEL 0585-55-2020(揖斐川町観光プラザ)
三輪神社
タイプの違うユニークなW青鬼
最後にご紹介するのが、三輪神社の青鬼。今回登場する中で唯一神社に立つジャンボ鬼です。青鬼なのは、同じ揖斐川町内の谷汲山華厳寺の赤鬼に対する鬼として誕生させたから。先に誕生した境内の青鬼は、なんと神職さんが一人で作り上げた力作です。
1人でも運べるように紙と木材ベースの軽くて薄い作りで、鳥居に立てかけて設置します。鋭い1本角と長い牙、吊り上がった目を持ちつつも表情はコミカルで、一度見たら忘れられないインパクトですよね。
一方、2体目の青鬼は、本格的な張子の頑丈な作りで国道沿いに自立設置。
2本角と燃えるような表情、いかつい肩の金棒姿がいかにも強そう!バッテリー内臓で夜間は目が光ります。
三輪神社の鬼も共に交通安全のタスキをかけており、交通マナーの啓発にも一役買っています。怖いビジュアルに反して正義寄りの立ち位置なのも、岐阜市の玉性院の鬼と共通していますね。
鬼データ
境内(鳥居前)の青鬼
高さ:3m
造り:木材、紙
誕生時期:平成22(2010)年
設置時期:左義長どんど焼き(1月15日)の数日後~2月下旬
国道303号と417号交差点の青鬼
高さ:3m(台座を入れて4m)
造り:張りぼて
誕生時期:平成27(2015)年
設置時期:左義長どんど焼き(1月15日)の数日後~2月下旬
2月2日(日)節分祭 福豆まき
15:00~節分祭
15:20~福豆まき
豆には景品が当たるクジ付き。節分特別厄除け祈祷も行われます。
所 揖斐川町三輪1322
TEL 0585-22-1511
まとめ・考察
計7カ所の鬼を巡って分かったのはこんなこと。
●ジャンボ鬼文化のルーツは、昭和初期にまでさかのぼる。
●戦後、復興を願う機運の中で鬼の巨大化が急激に進んだ。
●岐阜の幼稚園や保育園では、今も昔もジャンボ鬼巡りが恒例行事になっている。
戦前に誕生した竹と和紙の張りぼて鬼をベースに、徐々に発展した節分の鬼像文化。それを育む土壌は、やはり戦国時代以来の岐阜に息づいていた「ものづくり文化」といえそうです。川の水運でもたらされた和紙や竹と、この地に集った職人たち…江戸時代に同じ原理で作られた岐阜大仏(=籠大仏)がまちのランドマークになったように、節分のジャンボ鬼はこうしたものづくりの継承であると当時に昭和~現在の新しいものづくり文化の象徴になっていったのかもしれません。ちょっぴり怖いけどなんだかワクワク度も高めてくれるジャンボ鬼のいる節分。知っているようで知らない岐阜の誇るユニークな節分文化、今後も愛していきたいものですね。