【7・8月号】ひるがのフロンティアを学ぶ「たかす開拓記念館」

「東海の軽井沢」とも呼ばれる「ひるがの高原」は岐阜の誇る高原リゾート。春は花々、夏は爽やかな避暑地、秋の紅葉、冬のスキー…と、1年を通して美しい自然とアクティビティが満喫できます。まさに現代の楽園ともいえる「ひるがの」ですが、このパラダイスがいつからココにあるのか、皆さんご存じですか?

「ぷらざの旅・ひるがの」電子ブック版はコチラ

時代は戦前、満州開拓の時代へ

そんな疑問に迫るべく訪れたのが「たかす開拓記念館」。たかす町民センター内にあるこちらの施設では、ひるがのを含めた高鷲村(現在の郡上市高鷲町)の開拓の歴史を学ぶことができるのです。

高鷲の開拓を語る上で切っても切り離せないのが、満州開拓の歴史。1931年の満州事変で中華民国・満州の大部分を占拠した日本軍(関東軍)はここに満州国を建国し、軍事的な戦略拠点と資源の供給地として重要視しました。それにあたり国策として多くの日本人が移住し、農地の開拓を行ったのです。現在の郡上市からは11の開拓団が編成され、戦中から戦前にかけて高鷲村からも691人が満州へ入植しました。

こうした時代背景を踏まえ、いざ記念館へ。

入ってまず展示されているのが、満州をはじめとする海外や遠隔地へ渡った郡上の開拓団の歴史。豊富な写真の数々からは当時のリアルな空気感までも伝わってきます。

映像や資料を通し、当時を知る「語り部」さんの声にふれられるのも貴重な体験。

開拓の歴史が決して遠い昔でないことが実感できます。開拓者の中には現地で亡くなった方も多かったそうで、つらく厳しい時代であったことが分かります。

新しい時代へ――高鷲の開拓

満州開拓の一方、戦争が激化すると高鷲地域では食料を確保するため、ひるがの、上野(うわの)、切立(きったて)で開拓が始まりました。もともとこの辺りは何もない原野。そのため本格的な開拓は戦後、戦争や満州開拓の引き揚げ者が中心となって行われました。

階段を降りた階下の展示では、こうした地元の開拓の歴史や当時の暮らしをジオラマや実際に使われていた民具、実物大の再現展示等からも学ぶことができます。

湿原で食料の育ちにくいこの地で行われたのは、牧草地の開拓。広大な土地を活かして乳牛を育てる、酪農が盛んになりました。さらに大きな転機は高度経済成長期。高鷲初の本格的大型スキー場が、ひるがのに開設されたのです。また、上野や切立では寒暖差を活かした高冷地野菜として大根の生産が始まり、高い評価を得るようになりました。

「牛乳」、「雪」、「大根」――。この3つの白をもとにした「三白(さんぱく)産業」こそが、高鷲発展の原動力! 写真や様々な道具類を目にすると、開拓とはとても地道で、人々のひたむきな努力と創意工夫なくしては成し得ないものであることが伝わってきます。

こちらは開拓の道具類や、雪国ならではの民具。

特に開拓に使われた道具の数々は、見たことがない形状のものがたくさんあって大変興味深いですよ。

ひるがのの歴史と、現在の美しい風景は密接に関わるものだと実感。近代史をより身近に鮮やかに感じられると同時に、新たな土地の成り立ちに感動できること請け合いです。

たかす開拓記念館

/岐阜県郡上市高鷲町大鷲1244-8 たかす町民センター内 マップ
/10:00~16:00
/月曜
/無料
/TEL.0575-72-6321

この記事を書いた人