今月発行のぷらざ5・6月号では10か所の山城が点在する可児市を訪れました。新緑の季節にハイキングをしながら歴史ロマンに浸ってみませんか。ここで登場するスポットは本誌でもご覧いただけます。
詳しくはこちら👇
今回は山城初心者でも楽しめる3つのスポットを、本誌では紹介しきれなかった魅力と共にご紹介します。
可児市戦国山城ミュージアム
山城に興味はあるけれど、どうやって情報を入手すればいいのか分からない…。そんな悩みを解消し、山城散策の拠点となるよう歴史民俗資料館をリニューアルしたミュージアム。山城の解説だけではなく、案内パンフレットや冊子も充実しています。国史跡に指定された美濃金山城跡の近くなので見学を終えたら早速お城へ…というプランも可能です。
数ある展示品の中でも特に注目したいのが、美濃金山城と久々利城の復元ジオラマ。この2枚をよく見比べてみてください。同年代に建てられたお城にも関わらず、大きな違いを感じませんか?
分かりやすいポイントとしては美濃金山城には石垣や瓦葺きの建物があるのに対し、久々利城の方は土塁や板葺きのやや簡素な建物の造りになっているところ。その違いが現れる理由はズバリ、美濃金山城は「織豊系城郭」と呼ばれるお城だから。当時はこの辺りを支配していた織田信長や豊臣秀吉の重要な家臣だけが石垣や礎石、瓦を使って築城していました。美濃金山城の主は森蘭丸をはじめとする森家の一族で、いずれも信長や秀吉の家臣として活躍。強固なお城になるのも納得ですね♪
明治18年に竣工した小学校を改修した木造の建物は、表の南面からは2階建て、裏の北面から見ると3階建てという珍しい構造になっています。現在は建物の1・2階に入れますが、ミュージアム内では玄関ホールのある2階を「1階」、1階部分を「地階」と呼んでいるとのことです。
山城にまつわるお土産コーナーもある戦国山城ミュージアム。山城散策の前に立ち寄れば見方が変わること請け合いです。
可児市戦国山城ミュージアム
住所 :可児市兼山675-1
営業時間:9:00~16:30※入館は16:00まで
定休日 :月曜(祝日の場合は翌日休)
利用料金:210円(高校生以下無料)
駐車場 :30台
問合わせ:0574-50-8443
美濃金山城跡
織田信長に仕えた森蘭丸のふるさとにある、戦国時代末期の面影を残したお城として有名です。斎藤道三の養子とも言われている斎藤正義によって1537年に築城。その後に蘭丸の父である森可成(よしなり)が入城し、信長の東美濃支配の拠点となっていきました。
三の丸跡、二の丸跡が階段状に続きます。石垣で四角く囲んだ桝形虎口や、意図的に石垣の隅などを崩した「破城の跡」も注目ポイント。お城の建物は残っていませんが、1601年に破壊された当時の石垣や礎石の姿を伝えています。
頂上の本丸跡からは兼山の城下町が見渡せます。町を囲むように流れている木曽川が堀の役割を果たしていたと言われており、山からの木材や海からの塩・魚の運搬が盛んに行われていました。
写真の出丸跡のそばに駐車場があり、そこから本丸跡までは15分ほどで行くことができます。17:00~8:30の間は駐車場に通じる山道が封鎖されるので、お出かけの際はご注意ください。
美濃金山城跡
住所 :可児市兼山
営業時間:8:30~17:00
駐車場 :17台
問合わせ:0574-62-1111(可児市観光交流課)
明智城跡
大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公として活躍した明智光秀が青年期を過ごした場所として戦国ファンの熱視線を浴びているお城。勾配が緩やかなため約45分でコースを一周することができます。遺構は残っていませんが、明智光秀に想いを馳せることができる貴重な場所です。
明智氏が代々居城にしていたと伝えられますが、1556年に稲葉山城(現岐阜城)主・斎藤義龍(よしたつ)の攻撃を受けて落城しました。その際に命を落とした人々を弔うために築いた七つ塚が残っています。
頂上の本丸跡では光秀像や、「明智荘」と呼ばれた荘園を一望できる展望台があります。長閑で気持ちの良い眺めでした。
十兵衛坂を通りながら山を降りていく途中には、六親眷属幽魂塔が佇んでいます。地中にほぼ埋もれた状態で1973年に発見されました。六親眷属とは一族や親戚を指す仏教用語で、明智城の兵士達を弔うために瀬田村の人が建てたものとして、今も静かに祀られています。
明智城跡
住所 :可児市瀬田
駐車場 :10台
問合わせ:0574-62-1111(可児市観光交流課)
出てきたお城用語に関してはこちらのページで解説しています。併せてご覧ください。
魅力的なスポットは他にも沢山あります♪ 華やかスポット編はコチラ☟