岐阜城・廃城時の姿が今、蘇る!「史跡岐阜城跡整備基本計画」始動

すごいぞ「史跡岐阜城整備基本計画」

2019年末には岐阜城天守台下に信長時代の石垣が、2021年末には池田輝政が城主時代の石垣が発掘されるなど、何かとアツイ話題が続く岐阜城。そして2022年、満を持して取りまとめられたのが「史跡岐阜城跡整備基本計画」です。言葉だけ見ると、なんだか地味で難しそうな印象を受けるかもしれませんが、岐阜城の歴史において、これはものすごいこと! なぜなら、この整備計画は岐阜城が関ケ原の戦いの前哨戦(1600 年)で廃城になったときそのままの姿を、今に蘇らせることを意味するからです。

世紀の大発見である岐阜城の天守台石垣
世紀の大発見である天守台石垣。信長期の石積みの特徴を持つことがら、岐阜城に日本最古の天守があった可能性が決定的に。

2022年1月8日(土)に行われた岐阜お城研究会会合「続、岐阜城の未来を語ろう」。そこでは夢のように壮大な、しかし非常に明確な岐阜城の未来図が語られました。

岐阜お城研究会会合「続、岐阜城の未来を語ろう」
ゲストに柴橋正直岐阜市長、岐阜市文化財保護課の高橋方紀さんを迎えた「続、岐阜城の未来を語ろう」。熱量のあるトークが繰り広げられました。

「信長の山上石垣」の魅力を発信
「岐阜お城研究会」の真摯な取り組み

現在の岐阜城を語る上で切っても切り離せないのが「岐阜お城研究会」の存在。2014年に発足した民間有志の団体で、全国のお城に精通したスーパーお城マニア・柴田正義さんが代表を、歴史に造詣が深く今では岐阜市長を務める柴橋正直さんが副代表を務めています。

そのお城研究会が一貫して掲げていたテーマが「信長の山上石垣」を発掘して、“本物の岐阜城”を見せること。天空の城の名で一躍注目を集めた兵庫県の竹田城のように、たとえ当時の天守がなくとも、城の“原型”をあらわにすれば、その魅力は伝わるはず――。そんな岐阜城の本質的な価値を掘り下げる活動をしてきたのです。

例えば金華山山頂で写真を撮るとき、ついつい天守の建物をアップにして撮影しがちですが、歴史的に見るならば注目したいのはさらにその下の、二段構えの石垣群!

なぜならこれは信長時代の石垣、ひいては壮麗な岐阜城の姿を今に伝える貴重なもの――つまり岐阜城の本質的な価値を示す史跡そのものに他ならないからです。こんな風にほんのちょっぴり着眼点を変えることも、岐阜城の本質的な魅力に近づく第一歩といえます。

文化財保護意識の変遷 明治~現在

とはいえ、全国的に見てもこうしたお城の歴史的価値が注目されるようになったのは、ごく最近のこと。少し歴史を遡ってみると、1600年に廃城になった岐阜城は、明治時代に出された「城跡など各地の名所・旧跡を人が集まる公共の場として整備・開放すること」という法令の対象になり、明治15年には金華山の麓に岐阜公園が誕生。主郭部にはコンクリートの復興天守が、さらに昭和の観光ブームでは山上に遊園地等レジャー施設が建設されました。このように岐阜城の在り方も活用法も劇的に様変わりしていったのです。

「明治~昭和の日本は、文化財を保護しようという感覚が今よりもずっと薄い時代でした」

とはお城研究会代表・柴田さんの弁ですが、だからといってこの時代の整備は決して否定すべきことではないそう。なぜなら今の金華山・岐阜城の姿もれっきとした近代史の証。むしろこれほどまでに山上施設が充実した山城は、他に類を観ない面白さととらえることもできます。

時代が進んで平成~令和においては岐阜城の捉え方はさらに変化。いよいよ「史跡岐阜城跡」としての姿が、次第にフィーチャーされるようになっていきました。その根底にあるのが、

「史実に基づく整備=本質的価値の向上」という考え方。

2019年からは山上部の発掘調査に本格着手し、各所で戦国時代の石垣が見つかっている岐阜城。江戸時代前期の調査図『稲葉城趾之図(伊奈波神社所蔵)』等をもとに発掘調査の進む山上遺跡は、斎藤道三、織田信長、池田輝政…と、それぞれの時代の城郭計画とその特徴が共存しているのも大きな特徴です。

鮮やかに過去の姿が蘇る!?
シビックプライドとしての未来の岐阜城

「史跡岐阜城跡整備基本計画」。この計画の偉大さは、整備と保存、そしてその価値を知ってもらうための取り組み全てが盛り込まれたものであることです。

こちらは2021年9月に行われた「岐阜城の未来を語ろう」の際に公開された、山上部周辺の中長期の整備イメージ図。

岐阜城山上部周辺の中長期の整備イメージ図

これを見ると、発掘後の石垣にアプローチできる道も同時に整備が計画されており、訪れた人が身近にその価値を目の当たりにできることが見てとれます。つまり岐阜城の整備は、これまで人々の目にふれずにいた岐阜城の魅力ごと、全てあらわになるのです。

一方で、史跡を整備した上で維持管理するのは非常に大変なこと。例えば整備や保存のために木々を切れば日当たりがよくなり石垣から雑草がみるみる育って…など想定外のことも起きるそうで、いかに当時の状態を保ったまま保存していくかというのも、課題として挙げられています。

「たて続けに石垣が見つかり、様々なことが明らかになっている山上部。これらがよく見えるように露出させ整備することで、大切な遺産として、誇りあるものとして次の世代に繋げていきたい」

と、力強く語る柴橋市長。今を生きる我々にも遺構をしっかりと見せることで、信長の “魅せる城”を、近くからも遠望からも実感できるように――そんな野望を聞くだけでも、もうワクワクがとまりません。

かけがえのない本物の岐阜城を継承していくために。現在進行中の壮大な計画を、今後も見守っていきましょう。

岐阜城

所/岐阜市天守閣
交/JR岐阜駅より岐阜バスにて「岐阜公園・歴史博物館前」下車
駐/有

この記事を書いた人