【11・12月号】キャッシュレス応援キャンペーンで、岐阜市の喫茶文化を盛り上げよう!

喫茶店でドリンクを注文すると、トーストやゆで卵等がついてくるモーニングサービス。なかにはサラダやおにぎり、茶碗蒸し、カレー、うどんといった朝食とは思えないほど豪華なメニューが登場することもあるので、日々の楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

モーニング
モーニングのイメージ

そんなモーニング文化が根付いた岐阜市は、総務省の家計調査で一世帯あたりの喫茶支出額が3年連続で日本一に輝いた、いわば“喫茶店大好きシティ”。
さらに岐阜県に範囲を広げると、人口1,000人あたりの喫茶店数が全国1位(令和3年)という調査結果が出ています。

そんな喫茶店大好きシティ・岐阜のモーニング文化を、新たな魅力として発信していきたい!という想いで、11月から岐阜市の喫茶店を舞台にしたお得なキャンペーンが始まります。※終了しました

そして、月刊ぷらざ11・12月号では、このキャンペーンを応援するために、毎回大反響のモーニング特集を緊急企画。参加店の中からスタッフ注目の12店をご紹介しているので、ぜひ18ページから23ページをご覧ください。

目次

岐阜の喫茶店に行こう!キャンペーンの概要
岐阜市の喫茶店文化の始まり
繊維問屋街の発展とモーニングの誕生

岐阜の喫茶店に行こう!キャンペーンの概要 ※終了しました

11月1日(水)から12月27日(水)まで行われる「ぎふの喫茶が日本一!お得に、気軽に、ゆったりと!キャッシュレス応援キャンペーン」。モーニングサービスを提供している市内で対象の喫茶店で対象のキャッシュレス決済を利用すると約30%のポイント還元が得られます!

ポイント上限:
5,000円相当(1回の利用で最大2,000円)

対象キャッシュレス決済:
PayPay、auPay、d払い
※対象店舗およびポイント付与や支払い方法などについては、各キャッシュレス決済事業者のアプリやHP等でご確認ください

お問い合せ:TEL.058-214-2360(岐阜市商工課)
詳細は岐阜市商工課HPから

キャンペーン参加店には、以下のステッカーが貼ってあるので要チェック!

岐阜の喫茶が日本一!お得に、気軽に、ゆったりと!キャッシュレス応援キャンペーンステッカー
岐阜市の観光資源と喫茶がコンセプト。「ふ」はコーヒーの湯気、「喫」は長良川、「茶」は金華山と岐阜城、「一」は鵜舟を使ってそれぞれの文字を表現しています。

岐阜市の喫茶店文化の始まり

※「岐阜と喫茶店」奥山涼子 著 より資料抜粋しています

気軽に行けて、お得に食べることができ、ゆったり過ごせる喫茶店は、地域コミュニティの場所としても愛されています。そんな岐阜市の喫茶・モーニング文化はどのようにできあがったのでしょうか? その歴史は岐阜市の発展と大きく関わっています。

岐阜の喫茶文化は大正8年に柳ケ瀬で開催された内国勧業博覧会にて、初めて本格的なブラジルコーヒーが提供されたことから始まります。以降、柳ケ瀬が商店街として発展するのと同時にカフェー( 女給やアルコールの取り扱いがあるお店 )や純喫茶が開店。コーヒーを取り扱う店も増え始めました。

昭和2年には老舗純喫茶として今なお語り継がれる「たつみ茶寮」や「田中家」(現在はどちらも閉業)が開業すると同時に、「柳ぶら」(柳ケ瀬散歩)という言葉もこの時期に生まれたと言われています。昭和初期にはごく一部のお店で、パンとコーヒーのセットがお昼まで出されており、モーニングの先駆けとされています。

昭和初期の喫茶店。親子が写る後ろにメニュー看板があります。

繊維問屋街の発展とモーニングの誕生

岐阜の喫茶といえばモーニング。その誕生と進化は、繊維問屋街の発展を抜きに語ることはできません。

昭和30年代、岐阜の玄関口であり、全国各地からの既製服の仕入れ業者や納入業者、一般消費者で賑わった岐阜駅前。当時、尾西・羽島で簡単に布を仕入れることができ、近郊の家庭主婦の下請け生産が可能だったことから、岐阜周辺にアパレル業者が集まっていました。東京・大阪より安くて良いデザインだったことも追い風となり、最盛期の卸売り問屋数は1,400軒にのぼったといいます。

昭和30年ごろの喫茶店。日ノ出町通りのたつみ茶寮前で撮影されたもの。

衣料業者は製品をまとめるために問屋へ来ますが、その交渉場所として売り子の多い店先よりも、静かな喫茶店が選ばれました。朝早くやってくる業者のためにサービスでピーナッツとゆで卵をつけたのが、現在のモーニングサービスのはじまりと言われています。

昭和40年ごろの喫茶店の様子。

また、繊維業者がひしめく問屋街は火気厳禁。会社では火を使うことを嫌い、応接間として喫茶店が利用されたという説もあります。

ちなみに、岐阜市郊外にも喫茶店が多いのは既製服工場の運搬業者の休憩場所だったから。そして、多忙な女性既製服業者の朝食として、モーニングが出されるようになったようです。

岐阜のアパレル産業の発展とおもてなしの心が形作ってきた喫茶&モーニング文化。心尽くしのサービスを求めて人々が集い、交流し合う…その温かさは昔も今も変わりません。
人情あふれる岐阜の食文化を市内外に、また未来に伝えていくためにも、その歴史に思いを馳せながら喫茶店でまったりと過ごしてみませんか?

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