【1・2月号】関ケ原古戦場を歩く~前編~

五感で堪能する“リアル関ケ原”
関ケ原古戦場を歩く~前編~

1・2月合併号のぷらざの旅「NEO関ケ原!!」

ココでは本誌に載せきれなかった未公開写真と共に、古戦場の各陣巡りをご紹介。予備知識アリで陣跡を辿ると、歴史散策が2倍、3倍面白くなりますよ。

全ての戦況を把握し、何を思う?
笹尾山・石田三成陣跡

まず足を運びたいのが、西軍の実質的大将・石田三成が陣を置いた笹尾山。麓に駐車場があるので、ここを拠点に古戦場巡りをするのもオススメです。早速登山開始! といきたいところですが、最初に目に飛び込んでくるのが「島左近陣跡」

島左近は、三成の軍師として知られる人物。「三成に過ぎたるもの二つあり 島の左近に佐和山の城」と称される卓越した軍略家で、関ケ原では石田軍の先鋒隊に! 三成陣の麓にドンと構える布陣からも、信頼の高さが伺えますね。

竹矢来や馬防柵が復元され、往時の雰囲気も味わえます。

三成陣跡までは徒歩5分程。2つのルートが選べるので、行きと帰りで道を変えるのもオススメですよ。

こちらが、三成陣跡から見える景色。

標高198mの高台からは、ご覧の通り徳川家康が最初に陣を敷いた桃配山、西軍が固めるその奥の南宮山、小早川秀秋の布陣する松尾山まで一目で見渡せます。これは「鶴翼の陣」といって、小高い山を押さえて取り囲む優位な布陣。この絶対的勝利の布陣に家康を誘いつつも、三成は思い通りにならない戦局を見つめ続けることになります。

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最後方から見守る慎重路線
桃配山・徳川家康最初陣地

さて一方、東軍大将・徳川家康が最初に陣を置いたのが「桃配山」です。なんとも素敵な(美味しそうな♡)ネーミングの場所ですが、ここは壬申の乱の際、大海人皇子が全兵士に名産の桃を配り快勝した、という伝説の残る地(何気にスゴイ…!)。そんな逸話にあやかって本営をこの場所に設置したのです。意外とゲン担ぎするタイプなんですね、家康公。

俯瞰での目印は分かりにくいですが、上記三成陣からの景色でいうと、ちょうど新幹線が出たり入ったりする辺りと覚えておくと、分かりやすいですよ。

こちらの見どころは、「腰掛石」「机石」

家康本人が、合戦時に座っていた! なんて聞くと、歴史浪漫も高まります♡♡

ところでこの場所、三成の陣から随分と西方。豊臣恩顧系の大名が最前線でイケイケなのに対し、家康自身はいつでも退却できる後方に陣を置き、慎重を期していた姿勢が分かります。こういう安全かつ着実な彼の姿勢が、二百数十年の天下泰平をもたらす江戸幕府に繋がっていったのかもしれませんね。

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勇猛さと調略で西軍を追い詰める!
岡山(丸山)烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

竹中半兵衛と黒田官兵衛――秀吉の二人の軍師の息子にあたる2隊が布陣したのがこの場所。雰囲気抜群の竹林を緩やかに登っていくと…

現れるのがこの景色!

不利な布陣の東軍の中では、格段に見晴らしのよいこの場所。当日はここから烽火(のろし)を上げて、戦闘開始の合図を告げました。直接は見えないものの、三成の陣からもかなり近い場所に位置することから、黒田長政の東軍での優遇ぶりと、好戦的な姿勢が垣間見える気がします(ちなみに長政は三成のコト、かなり嫌いだったみたいです…)。

さらに特筆すべきは、「南宮山」から近く、かつ「松尾山」が眼前に見えること。

猛将である一方、内応工作に優れた黒田長政は、前もって2つの調略を画策。南宮山の吉川広家には毛利隊の封殺を、松尾山の小早川秀秋には東軍の寝返りの約束をそれぞれ取り付けていたのです。

そう考えると東軍を勝利に導いた陰の立役者は、黒田長政という見方もできますよね。

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さて、後編では「関ケ原の戦い」を決定づけた各陣跡へと出陣します! どうぞお楽しみに♪
▶▶関ケ原古戦場を歩く~後編~

※関ケ原古戦場は登山コースもあるので、お出かけの際は歩きやすい靴・服装で。また冬の関ケ原はドカ雪の可能性があるのでご注意ください。


☆散策のお供には当社制作のミウラ折り歴史ガイド「決戦‼関ケ原」(400円)もぜひ。

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