【1・2月号】関ケ原古戦場を歩く~後編~

五感で堪能する“リアル関ケ原”
関ケ原古戦場を歩く~後編~

前編に引き続きお届けするのは、関ケ原合戦の勝敗に関わる注目の陣跡。後編も戦の流れを追いながら、本誌未公開写真満載でお届けします!

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1・2月合併号のぷらざの旅NEO関ケ原!!」も併せてご覧ください。

実はココの“裏切り”も注目です
南宮山・毛利秀元陣跡

関ケ原の勝敗を決した寝返りというと松尾山の小早川秀秋が名高いですが、そういう意味ではこの南宮山も、超重要地点。なぜならこの山の上にいた西軍・毛利秀元の1万5千もの大軍、なんと三成の救援要請の狼煙に応えることなく戦を終えているからです。

いったい何があったのか――キーパーソンとなるのは、毛利隊の前面に布陣していた吉川広家。彼は西軍の総大将・毛利輝元(in大坂城)の従兄弟にあたる人物で、徳川家康に接近。黒田長政を介し、輝元の無罪と領国の保持を条件に東軍と不戦の密約を交わしていました。

動きを封殺された秀元は狼煙に応じられず、それに順じて安国寺隊、長束隊も動くに動けず…。南宮山の隊は敗戦まで静観するほかなかったといいます。

――と、前置きが長くなりましたが南宮大社の奥より早速登山開始! 赤い鳥居の連なるトンネルをくぐって、毛利秀元の陣を目指します。比較的なだらかな行程ですが、片道1時間程かかるので、心して臨みましょう。

登り始めてすぐに現れる、安国寺恵瓊の陣跡。

上の方まで行くと、土橋や竪堀の跡も見られ、砦感のある造りにテンションが上がります⤴

毛利秀元陣跡からの景色はこんな感じ。

大垣方面が広く見渡せることから、大垣城を取り囲む東軍の牽制が目的の布陣と推察されていますが、その反面関ケ原方面は一切望めず…。登った実感としては、狼煙を見ても関ケ原に参戦するには現実モンダイ時間がかかりそうな印象です。妨害にあったとはいえ、秀元にはもともと強い戦意自体なかったのかも…この景色を見るとそんな気持ちにさせられました。

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裏工作発動にシメシメ前進!
徳川家康最後陣地(床几場)

毛利と小早川が動かず西軍の優位が危うくなり始めた頃、ついに東軍大将・徳川家康は桃配山から前へ! 三成が陣を敷く笹尾山の正面数百mに迫るこの地に本陣を移しました。場所は昨年オープンした「岐阜関ケ原古戦場記念館」のすぐ西側にあたります。

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じっくり用意周到に裏切り準備?
松尾山・小早川秀秋陣跡

関ケ原の戦いを語る上で絶対に欠かせない場所と人物、松尾山小早川秀秋。若干19歳で1万5千の大軍を率いる若き武将は、家康の威嚇射撃に応じるように山を駆け下り、東軍を逆転勝利に導いた――。そんなイメージで描かれることが多いですよね。

しかし実は彼、その前から怪しい動きがありまくりだったのをご存じでしょうか? そもそも松尾山は、西軍の総大将・毛利輝元を招き入れる予定だった場所。関ケ原合戦の前日、西軍は大垣城に集結していたのですが、小早川秀秋はここには行かず、なんと無断で(!)松尾山に前乗り。もうこの時点で怪しすぎ!!!ですよね。

だから三成率いる西軍も、秀秋の裏切りは想定内。その証拠は、三成の盟友・大谷吉継の陣跡に行ってみるとよく分かります。こちらは吉継陣からの眺めなのですが…

国道21号や鉄道を挟んで真正面に松尾山をロックオン!! どう見てもコレ、秀秋のことを完全に疑っていますよね。

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さて、これを踏まえて秀秋の陣へ向けていざ出発。こちらも40分程の登山行程となりますので、歩きやすい服装・靴で臨みましょう。

山城を修繕したこの陣は、山頂付近に近づくにつれて当時の遺構も見られます。

訪れた日はなんと狼煙が上がっていて、まるで往時の雰囲気が蘇ったようでした。
(※のろし駅伝が開催されていたそうです。)

こちらが松尾山・小早川秀秋陣跡の景色です。

なんという圧倒的見晴らしの良さ! 三成の陣も家康の陣も、裏切り調略の相手・黒田長政の陣も、何もかもが見渡せます。

これは下記三成の陣とも遜色ない…というより、全てを見渡せるという意味においては、松尾山の方が上かもしれません。

笹尾山・石田三成陣跡からの眺め

たとえ裏切りを決めていたとしても、この見えすぎる景色は、秀秋の葛藤を強めたでしょうね…なんといってもまだ20歳前の若者ですし。彼の気持ちを思うと胸が締め付けられます。

さて、当時はまだ木々に覆われていなかった斜面を、一気に駆け下りた小早川軍。先述の大谷吉継はこれを予見し応戦しましたが、ここで味方4将の裏切りにも合い、軍は壊滅。その4隊裏切りの一つ、東軍と内通していた脇坂安治の陣も、松尾山の麓近くに残っていますよ。

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これにより大谷吉継は自刃し、西軍は大崩れ。戦はいよいよ大詰めを迎えます。

我こそは! と、東軍突進!!「決戦地」

最後に訪れるのは「決戦地」。「自分こそが三成の首を!」と意気込む東軍諸隊は、笹尾山の石田三成の陣をめがけて攻め込みます。

写真左奥に笹尾山の三成陣跡が見えることからも、いかに間近まで攻め寄ってきたかが伝わるのではないでしょうか。

東軍の猛攻に石田隊は壊滅。三成は再挙を期して伊吹山方面へ脱出しますが、程なく捕らえられ、志半ばに処刑されることになるのです。

まだまだ紹介しきれていませんが、関ケ原古戦場は各武将に思いを馳せながら巡るのが醍醐味であり、その面白さ。彼らが生き、命を懸けて戦った証を感じながら、ぜひ巡ってみてはいかがでしょう。

 

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