明智光秀ゆかりの地を辿る その2 ~美濃青春編~

前回はまさかの出生地候補の紹介のみで終わってしまい、長期戦の様相を見せる(?)光秀ゆかりの地巡り。今回は光秀が斎藤道三下にいた「美濃青春編」をお届けします。

その1はコチラ


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稲葉山城/岐阜城

「麒麟がくる」でも第1回~終盤まで出ずっぱりなのが、我らが岐阜城(斎藤家時代は稲葉山城)。ドラマ初回で出た稲葉山城の俯瞰(金華山が段々畑のように開発されていた!)に大興奮してからもう1年経つなんて…早いものですねぇ。

岐阜城関連の記事は本誌・ブログで何度か紹介しているので、今回は“麒麟視点”で岐阜城にフィーチャーします。

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*加納口の戦いで実力発揮!総構えの城

 全国的には知名度の高くない戦が大きく取り上げられていたのも「美濃編」の魅力。中でも1544(天文13)年、織田信秀の軍勢が稲葉山城下に攻め込んだ「加納口の戦い」は、稲葉山城の強みを存分に活かしたゲリラ戦が、ダイナミックに描かれていました。

こちらは長良川対岸から岐阜城を見たところ。稲葉山城の特徴は、稲葉山(金華山)全体を要塞とした城であることに加え、城下町一帯を土塁で囲んだ“総構えの城”であったこと。つまり町全体が城塞都市という見方ができるのです。

ちなみに岐阜公園の近くにあるこの堤防は、総構えの土塁の名残。こうしたまちづくりの片鱗が、岐阜には色濃く残っているんですよ。道三時代に築かれた岐阜市の中心市街地は「井ノ口」と呼ばれており、まちなかには道三の菩提寺常在寺」も。「麒麟がくる」の中では、住職さんから京都の本能寺で鉄砲造りが行われている情報がもたらされるなど、存在感のある描かれ方が印象的でしたね。

 

こちらは「加納口の戦い」で戦死した織田軍の兵を弔う場所と考えられている「織田塚」。かつてはこの場に「円徳寺」があり、周辺では楽市楽座が開かれていたかも…とも推察されています。ちなみに織田信長の政策として有名な「楽市楽座」ですが、その概念をまちづくりの構想にいち早く取り入れたのは、斎藤道三という説も。「麒麟がくる」でも経済に目をつけた(だからお金にケチでガメツい)姿が印象的に描かれていましたよね。

*「大きな国」の思想を育む壮大な眺め

さあ、今度は岐阜城模擬天守がある金華山頂上まで登ってみましょう。

近年は、日本最古とも考えられる天守台の石垣の発見等話題に事欠きませんが、麒麟的視点で注目したいのはこの景色。

そう! ここからの眺め、南方には尾張がガッツリ、天気が良いと伊勢湾まで見えるんです。斎藤道三は「尾張を、海を手に入れれば一滴の血を流すことなく国が豊かになり、一つにまとまる」と、「大きな国」の理想を光秀に語りますが、目の前に広がるのは、国境なんて度外視の広大な濃尾平野。視覚的にも、存分に道三の思想を堪能することができます

さらに、西方に目を向ければ…

養老山地の向こう…京のある西方面が日の光に照らされ、なんとも神々しい光景。「あの光のベールの先にある京を目指そう!」と、青年・信長が憧れたのも、何だか分かる気がします。

北側は長良川を挟んで深くて濃い雄大な美濃の山々の風景が。ドラマ内で信長の元を去った帰蝶が暮らした設定になっている「鷺山城」も、山頂からよく見えますよ。ちなみにこの鷺山城、守護の土岐頼芸や義龍に家督を譲った後の道三も住んでいたといわれています。

鷺山から見た金華山はこんな感じ。金華山を望むには絶好の場所ですが、見る者の立場によっても、去来する想いは色々と複雑そうですね…。帰蝶はどんな想いで、夫のかつて居城を眺め暮らしたのでしょうか。

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▶岐阜城(稲葉山城) ▶常在寺 ▶織田塚 ▶鷺山城跡

大桑城

「麒麟がくる」の中で、息子の義龍と対立した道三が立てこもったことで、一躍有名になったのが山県市の「大桑城」。元々は美濃守護・土岐氏のお城で、土岐頼芸がここに政治的機能を移し、城と城下町を整備したのが始まりといわれています。ドラマの第2回の時点では、帰蝶の最初の夫(道三に毒殺された人)の居城でしたよね。

現在その発掘調査にも、熱視線が注がれている大桑城。まちづくりは越前の一乗谷が参考にされていることから、当時の土岐氏と朝倉氏の良好な関係をうかがい知ることもできます。

山頂までは古城山の中腹「はじかみ林道登山口」を利用すれば30分弱。こちらの名物といえば、可愛いミニ天守閣♡

そしてやっぱりこの景色!

標高408mの山頂からは、金華山(329m)をやや見下ろすような方で、前方に見ることができるのです。この景色を見ながら道三と光秀の最後のやりとりを思い出すだけで、涙が出てきそうになりますね。「大きな国を創るのじゃ!!」

長良川の戦いで討ち死にした道三を祀るのが岐阜市にある「道三塚」。塚は洪水で度々流されましたが、常在寺の日椿上人の手で、現在の場所に移されています。

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▶大桑城 ▶道三塚

道三側に与したことにより、美濃を追われることになった光秀。次回は岐阜県外のゆかりの地を順番に巡ってみましょう。

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