【Web限定記事】続報!史跡岐阜城整備計画

レジェバタを機にますます大注目!
岐阜城の発掘&新発見

皆さん、映画「レジェンド&バタフライ」は、もうご覧になりましたか?この映画の岐阜県民的激アツポイントといえば、信長にとっても濃姫にとっても、岐阜が大切な場所として描かれていること。劇中に登場する「織田信長公居館」や「岐阜城」の再現に、「おお~!」と心の中で歓声を上げた方も多いのではないでしょうか。

さてそんな話題の岐阜城ですが、この令和の時代にあって、超ビッグな動きが加速していること、ご存じでしょうか?昨年2月にアップした記事「史跡岐阜城跡整備計画始動」でも紹介している通り、現在岐阜城の山上部分では、「整備」・「保存」・「史跡の本質的価値向上」の観点から、30年規模の長期計画が進行の真っ最中です。

2023年2月6日(月)に開催された「第38回岐阜お城研究会」。この場で発掘調査での大発見と、さらなる未来の展望が語られました。

2023年2月6日(月)に開催された「第38回岐阜お城研究会」
左から岐阜市文化財保護課の高橋方紀さん、柴田正義代表、柴橋正直岐阜市長。

新事実から目が離せない
「天守台」と「一ノ門」の発掘調査

まずは先日大きなニュースにもなっていた、岐阜城天守台の石垣について。2019年、現在の天守の北西角から信長の時代に築かれたと思われる石垣が見つかったことから、岐阜城に日本最古の天守があった可能性が決定的になりましたが、今回新たに発見されたのは、南西角の石垣。この発見により天守台の西側の長さがおよそ14mと判明し、信長時代の天守台の規模を解明する重要な手がかりになりました。

さらに天守の東側、現在の復興天守の建物入口の手前部分でも新たな発見が。こちらは金華山に登頂すると発掘現場の覆いが目に入るので、何だろうと気になっていた方もいたことでしょう。

この東側の石垣は先日一般公開もされていたので、実際に見てきました。

岐阜城「天守台」と「一ノ門」の発掘調査
岐阜城「天守台」と「一ノ門」の発掘調査

こちらの石垣は、石材の長い面と短い面を交互に積む「算木積み」という積み方で積まれおり、その特徴から信長より少し後に城主となった、池田輝政の時代(1585~91年)の石垣と考えられているそう。石垣の場所から、かつての天守台は今の場所よりももっと前に張り出していたことが伺えます。ちなみにこの石垣、大正時代にはまだしっかり露出していたそうで、当時山頂にあった岐阜城模擬天守の写真には、この石垣が写っています。調査で長さ約2m、高さ約2m、最大4段分の石垣が残っていることが分かり、石垣の前には廃棄されたと考えられる、大量の瓦も見つかりました。今後さらに調査範囲を広げて続きの確認作業が行われるとのことで、期待が高まりますね。

今回(=令和4年度)調査が行われたのは天守だけではありません。ロープウェイの山頂駅近くの「一ノ門」でも新たな発見があり、こちらも一般公開されていました。それがこの箇所。

ロープウェイの山頂駅近くの「一ノ門」
冠木門をくぐってすぐ、巨石が目印になっています。
ロープウェイの山頂駅近くの「一ノ門」
天守側からの視点。門のあった場所が示されています。

こちらの調査で分かったのは、一ノ門には2つの時期の門が存在するということ。古い時期のものは斎藤氏の時代の頃のものと考えられ、穴を掘って柱を立てているのが特徴。そして信長の時代に造ったと考えられる新しい時期のものは、平らに削った岩盤や礎石の上に、柱を立てる構造となっています。

とはいえ、現場を見ただけでは素人目にはよくわからず…(汗)。でも、下記画像の遺構にはちょっとテンション上がりました!

岐阜城の遺構
岐阜城の遺構

岩盤がかなり深くまでグリグリくり抜かれて巨大な穴が造られています。しかもこの穴の中から、高さ約50㎝×縦約40㎝×横約30㎝の木材が発見されたとか。今後木材を化学分析しつつ、穴の機能解明が行われていく予定とのことなので、こちらも要チェックですね!

長良川・川北からの景色に注目!
美しい通路の石垣があらわになります

さて、これまでぷらざ本誌、ブログ、SNS…と、しつこいまでにご紹介してきたのが、この天守南西にのびる通路の南側斜面の美しい二段石垣。

岐阜城と石垣
岐阜城と石垣

非常に良好な状態で残っている信長期の石垣で、この石垣と共に天守を撮影すると、とってもカッコイイんです♡(…と、猛プッシュしていました)

今年注目したいのは、この石垣の逆サイド。“通路”の石垣ということは、当然この反対側の側面にもこうした石垣があるはずで…その顕在化こそが、この2月から実施された整備計画、通路の北側斜面の樹木伐採です。自然豊かな金華山の木を切るなんて…そんな声もあるかもしれませんが、これは国史跡である岐阜城を、樹木の根等を原因とする崩れから守り、維持していくためにも必要なこと。城郭遺構の「顕在化」「保全」、両方の観点から行う大切な作業です。

「樹木伐採は“散髪”と同じ。遺構を守るために木を切り、その結果、同時にこれまで見てほしくても木に隠れて見えなかった石垣を見えるようにしていきます」

と、柴橋市長。金華山・岐阜城は国有林でもあるので、林野庁と協議しつつどの木を切りどう遺構を見せていくかを考慮して計画的に作業が行われていきます。

「天守通路の北側の石垣を顕在化すれば、長良川の川北からも石垣が見えるようになります。その結果として、下から見ても山頂部一帯が城郭と認識していただけるのではないでしょうか」

高橋尚子ロード辺りから見た岐阜城
高橋尚子ロード辺りから見た岐阜城。整備によって、ここから見える山上の景色も劇的に変わるかも?

市民に親しまれている現在の復興天守も含め、今後の保護・活用が考えられている岐阜城。令和にあって少しずつ明らかになっていくその姿に、胸躍らせずにはいられません。

これまでなんとなく岐阜城を岐阜のシンボルと捉えていた方も多いことでしょう。そのお城が今、歴史的価値が文字通り目に見えるようになることで、岐阜市民、そして岐阜県民にとってさらに“誇れる城”となりつつあります。今後のぷらざでもその過程を食い気味に見つめていきたいと思っていますので、ぜひお付き合いくださいませ。

岐阜城

【住所】岐阜市天守閣
【交通】 JR岐阜駅より岐阜バスにて「岐阜公園・歴史博物館前」下車

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